夏影連歌

 じわり、と汗が滲む。
「暑い――」
 だが気分は悪くない。むしろ上々だ。
 鞄からペットボトルを出す。凍らせてタオルで包んでいたスポーツ飲料は、丁度飲み頃になっていた。乾いた喉を冷たい飲み物で潤すと、それまでぼうっとし ていた頭も冴えてきた。
 ハンカチで額を拭う。さあ、目的地まであと少しだ。


 前/ 田舎。


 東京から電車で2時間半、更に乗り換えて1時間。そこからバスでまた1時間。後は歩きで30分。山奥にあ る父親の実家に至るまで、途中、乗り換え時間と休憩を挟んで、計6時間かかる。
 田舎も田舎、ど田舎だ。日本に残る、数少ない本物の"村"。1時間かかる町までのバスは朝夕に一本だけ。本屋もなければ定食屋もない。コンビニなどもっ てのほか。かろうじて食品と日用雑貨を売る店が数軒あるきり。電気と電話は、まぁ来ているが、携帯電話の電波は届かない。上下水道がそれなりに通ったのも 平成に入ってからだ。
 東京で生まれ育った人間から見れば、不便を通り越して未開の地にすら見える。だが、それでも、俺はここが気に入っていた。

 初めて来たのは小学生の頃。小児喘息を患っていた俺を、両親が無理に連れてきた。ひねた子供だった俺は、山奥に行くなんていやだと主張したが「田舎の空 気は喘息の療養にいい」と言う両親に結局は逆らえず、泣く泣く連行された。だが効果は覿面で、ここに居る間は体調を崩す事はまったく無かった。
 以来、毎年夏になると、10日程を、この山奥の村で過ごすのが通例となった。

「聡史ちゃーん!」
 ひぐらしの大合唱の中、てくてくと歩いていると正面から一つの影が駆け寄ってきた。そしてそのまま勢い良く俺に向かってダイブしてくる。
「うおおっと」
 旅行鞄を放り出し、どうにか両手で抱える事ができた。この歓迎も毎年の事だ。尻餅をつかずにそのままキャッチ出来るようになったのは一昨年からだった が。
「聡史ちゃんだー!」
「おう、羽弥。久しぶり。元気だったか? って聞くまでも無いか」
「うん!」
 従妹の羽弥(はや)。苗字は俺と同じで深澤。叔父さん、つまり俺の父親の弟の娘。
 俺が初めてこの村に来た時は、まだよちよち歩きの赤ん坊だった。だが、毎年ここを訪れる度に大きくなってくる。子供の成長は早いものだ。もっとも叔父さ ん達から見れば、俺もまた来る度に大きくなっていて、同じ事を思っているだろう。
 自分に一番歳の近い血縁という事もあり、羽弥は偶に訪れる俺を随分と慕ってくれている。冬の休みに来る事もあるとは言え、一年の内に20日くらいしか顔 を合わせないのだが、それでも。まぁ、村に若い男がいないというのもあるかもしれないが。

「早く、早く! あ、荷物持ってあげる」
「重いぞ、大丈夫か?」
「平気ー」
 8つ下のこの従妹を、俺もまた妹のように思っている。半ズボンで山中を走り回る羽弥は、実質的に弟のようではあるが。
「今日は聡史ちゃんが帰ってくるからね、ご馳走にするって」
「本当か、そりゃ嬉しいなぁ」
 羽弥の口から出た"帰ってくる"という言葉が素直に嬉しい。とかく人間関係が希薄になりがちな自分だからこそ。異邦人ではなく家族として迎えてくれる叔 父一家が、俺は好きだった。
 柄にも無く照れて無口になった俺を、羽弥が心配そうに見上げる。
「聡史ちゃん、疲れてる? ごめん、ゆっくり歩くね」
「ははっ。大丈夫だっての」
 年下の従妹に気遣われる自分が気恥ずかしくて、俺は彼女の頭をガシガシと乱暴に撫でた。
「うわあー、何するかなー!」
 ぱっと手を離して走り出す。羽弥が怒って追いかけてくるのが楽しくて、夏の暑さがまるで気にならなかった。

   /

 木造平屋。敷地面積は結構広い。建てられたのは大正時代だと言うから、もう70年以上前の事だ。堅牢にして繊細な日本建築。でも良く見ると結構ガタが来 ている。それが深澤の実家だ。親父は田舎を嫌って東京に出たから、今は叔父の深澤雄二郎がこの家の主である。町役場に勤める公務員だ。土日の休みには、畑 を耕すのが趣味という実に平和な人。
 この家には普段、後3人住んでいる。叔母と祖母と羽弥だ。祖父は大分前に亡くなっている。

「けふっ。食いすぎた……」
 風呂から上がり、浴衣に着替えた俺は、敷かれていた布団に崩れるようにして横たわった。膨れた腹をさする。こんなに食べたのはいつ以来だろうか? 多分 一年ぶりだ。去年もこうして、食いすぎた腹を恨めしく見やった覚えがある。来年は食わされ過ぎないようにしようと誓うのも、まぁ毎年の事だ。
 クーラーなど無いのに、風が涼しい。開け放たれた障子の遠く向こうには、満天の星。
 いっそここで暮らすのもいいなぁ。と、半ば本気で考えた。大学を卒業した後の事について、正直まったく考えていない。でも、東京で無味乾燥なサラリーマ ンをやるよりは、この静かな土地でのんびりと暮らしたい。
 うとうとしながら、ぼうっとそんな事を考えていると、突然誰かの足音が聞こえてきた。誰だろう? いや、考えるまでもないか。この家の中を走り回るのは 羽弥しかいない。
「聡史ちゃーん!」
「んあ!」
 一瞬の躊躇もないフライングボディプレス。胃の中の物が逆流するかと思った。
「な、何すんだ、羽弥……」
「寝るの早いよ。遊ぼうよー、ねぇー」
 ぐりぐりと体をこすり付けてくる。風呂上りのようで、石鹸の香りが漂った。ほんのりジャスミンっぽい匂い。これは牛乳石鹸の青箱に違いない。いや、さっ き自分も使ったのだが。
「こらあ、離れろ」
「やだよー。離すと聡史ちゃん寝るもん」
「分かった。寝ない、遊ぶから、離れろ」
「えー」
 薄手のパジャマを着ただけの羽弥に抱き付かれると正直困る。昔はホントに男の子のようだったのに、だんだん女の子っぽい体型になりつつあるのだ。全体的 に丸みを帯びて柔らかい。しかもブラジャーを着けていないようで、膨らみ始めた胸が俺の腕に当たる。
「だぁーー! 暑いからどけっての!」
 従妹の、しかも小学生に反応してしまうのも罰が悪いので、急いで彼女の体を跳ね除けた。当の本人はじゃれあってるだけのつもりのようで、きゃっきゃっと 笑っている。その表情は本当に子供なのだから困る。
 俺はわざとらしく頭を掻いてから、上半身を起こして布団の上に座りなおした。
「で、何をするんだ?」
「海戦ゲーム!」
「古っ!」
 羽弥は、俺にプレスをかました際に放り出したのだろう、部屋の隅に転がっていたノートを2冊拾い、一つを俺に差し出した。
「なんでまた海戦ゲームなんだ?」
「今、学校で大はやりなの」
「……どういう小学校だよ」
 海戦ゲームとは、双方が10×10くらいのマスに5隻程の戦艦を配置して、互いに撃ち合い、先に全てを撃沈された方が負けというゲームだ。戦艦ゲームと 呼ぶ事もある。艦はだいたい空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦の5種。それぞれ占有するマスの大きさが違う。配置が終わったら、敵方の配置を予想しつつ 「Aの5」「Dの8」とポイントを指定しつつ、交互に撃ち合う。昭和の時代に子供の間で流行ったゲームで、昨今これを知っている小学生がいるとは夢にも思 わなかった。

「Cの8 当たったろ?」
「残念、外れー。こっちはね、Eの9」
「むう、大波だチクショウ。Dの8」
 ちなみに、敵の攻撃が自陣営の艦のすぐ横に落ちた場合、「大波」を申告しなければならない。当たり、外れ、大波、この3つの情報を元に、如何に相手陣営 の配置を読み切るかが勝負のポイントとなる。
「それも外れ! じゃあ、Eの10!」
「うぁっ。駆逐艦沈没だ」
「やったー! 4連勝!」
「むううう。こんなばかな……。くっ、なんかスゲェ悔しい」
「へへへ」
 まさかの4連敗。
 初めは軽く付き合ってやろうという程度だったが、2回連続で負けてからはこっちも本気だった。でも負けた。運の要素もあるのだろうが、小学生相手にボロ 負けするのは流石に悔しい。
 負け戦の軌跡が残されたノートを睨んで唇を噛んでいると、不意に叔母さんの声が聞こえた。
「聡史ちゃん。蚊帳を持って来ましたよ。って羽弥、部屋に居ないと思ったらここにいたのね?」
「うん。ゲームやってた。……ふわあーぁ」
 途中から真剣になったお陰で気付かなかったが、結構いい時間になっていた。羽弥が目を擦って欠伸をしている。
「ほら、もう寝なさい。自分の部屋に戻って」
「うーん、今日はここで寝るー」
 言うが早いか、俺の布団にばふっと倒れ、直ぐに寝息を立てる。
「しょうがないわねぇ。ゴメンね聡史ちゃん、疲れてるのに。久しぶりだから一緒に居たくてしょうがないのよ。今日は一緒に寝てあげて」
「は、はぁ……。ええっと俺は別に」
 構わないけど、倫理的に多少の問題があったりはしませんか? と言う隙もなく。叔母さんは部屋の四方にある金具に蚊帳を吊り、さっさと引き上げてしまっ た。
 幾ら血縁であるとは言え、若い男の部屋に一人娘を放り出していくとは。そりゃ確かにコイツは小学生で子供だけど。毎年徐々に女の子らしくなってきてるわ けで。もう少し危機感というものがあってもいいんじゃないだろうか。
 テントのような青い蚊帳の中、無防備に寝息を立てる女の子。布団は一つ。
「うーん。……俺も寝るか」
 考え込むとバカな事ばっかり頭に浮かんでしまう。俺は頭を振ってそれらを追い出すと、電気を消して布団に横たわった。出来るだけ羽弥に触らないようにし ながら。


「う、うう…ん………?」
 長旅でやはり結構疲れていたのか、俺は簡単に眠りに落ちた。
 筈だったのだが。
 夜中に息苦しくて目が覚めてしまった。頭を何かが覆っている。
 何かと思ったら、何の事はない。掛け布団代わりのタオルケットだ。ただ、その上に羽弥の腕が乗っかっている。寝返りを打った拍子に、というわけだ。
 俺は羽弥の腕を取って、彼女の体を半回転させた。こちらに背中を向けるように。そして空いたスペースに自分の体を移動させる。ただでさえ、俺の背中が半 分布団からはみ出ていたのだ。これでお互い布団の占有スペースは5分と5分。そしてタオルケットを掛け直そうとした時、またも羽弥が寝返りを打つ。丁度俺 の胸に背中を預けるように。俺から見れば彼女を後ろから抱くような感じで。
 数時間前に抱きつかれた時の衝動がよみがえる。柔らかさと匂い。さっきと違うのは、安心しきった顔で、すうすうと寝息を建てているという点。
 蚊帳の中、深夜ではあるが月明かりが差していて真っ暗にはなっていない。少し顔を動かせば、パジャマのボタンとボタンの隙間から、羽弥の小さな乳首が見 えた。
 軽く唾を飲む。俺の守備範囲は自分の前後3歳くらいなんだけどなぁ、と思いつつも、これはこれでと考える自分がいた。普段とは違う場所、普段とは違う環 境。それが自分をハイにしているのか、ちょっと指を伸ばせば触れそうだ、なんて思ったりもする。
 そろりと指を2本、パジャマの間に差し込み、そっと触れる。窪んでいる乳首と、その周囲を円を描くように軽く擦る。ちょっとだけ押してみると、ちゃんと した柔らかさがあって気持ちがいい。
 暫く触り続けていると先端の感触が変わった。徐々に固くなってきている。慎重に、強く触り過ぎないように、2本の指で刺激を与える。擦り、押さえ、挟 み、撫でる。
「んっ……」
 羽弥が切なげに身をよじった。急いで指を抜き、俺は何事もなかったように寝た振りをするが、彼女は目を覚ましたわけではなさそうだ。暫くすると、また規 則正しい寝息が聞こえた。
 自分も寝ようかと思ったが、頭の中に少しだけ黒いものがよぎる。もう少し触ってみたくはないか? 今度は別の場所なんてどうだろう?
 その誘惑に負け、俺はふらふらと手を下の方へ伸ばした。
 さわさわと尻を触る。なんとなく痴漢にでもなった気分だ。いや、これは痴漢行為そのものではあるのだが。
 羽弥の尻は弾力があって楽しい。ぷにぷにという形容詞が似合うだろう。撫でたり、割れ目をなぞったりしている内に、それだけでは飽き足りなくなって、俺 はパジャマの中へと手を入れた。木綿のパンツが汗でほんの少し湿っている。不意に、コイツもいずれ別の液でパンツを濡らすんだろうか、などと妙に親父くさ い事が頭に浮かんだのが自分でも笑えた。同時に少し腹立たしくもあったが。だからなのかどうか、そのまま鷲掴みしてみたい衝動が沸いた。五指を伸ばして尻 の左側全体を掴んだ。力は入れない。でもちょっとだけ揉んでみる。
「んんっ、聡史ちゃん……」
 ハッとした。やり過ぎだ。起きてしまったか?
「……の負けー、へへへ」
 はああああ。と脱力する。単なる寝言。夢の中でさっきのゲームの続きでもしているのだろう。
 まぁ、何にせよここまでだ。冷や汗をかいたお陰で、気持ちも静まった。いつの間にか固くなっていた自分のものも萎えた。そうだ、もう寝よう。明日からど うせ、コイツに引っ張りまわされるんだ。体力温存しないと。
 俺は神妙に羽弥のパジャマから手を抜き、仰向けになって目を閉じる。

 罪悪感は、あまり無かった。
 代わりに、この従妹を可愛いと思う気持ちが少し増えた。

(大学生と小学生。歳の差8つかぁ。うううん……まずいよなぁ。あー)



 ―――後へ。

モ ドル