迷迭香慕情 /1

 築32年、3LDK、駅まで徒歩10分、近くにコンビニ有り。多少ガタがきているが堅牢な鉄筋コンクリー トのマンション。
 学生の身分であるにもかかわらず、ここで一人暮らしが出来るのは、何の事はない、このマンションの持ち主が俺の叔父だからだ。空き部屋が出来たという2 階に入居したのが半年前。本当は最上階である4階に住みたかったが、これ以上の贅沢は流石に言ってられない。それまでは6畳一間の安アパートで暮らしてい たのだ。
 大学までの距離は多少遠くなったが、広い部屋に住めるのはそれを補って余りある好条件。
 どでかいソファーに身を沈め、32インチのテレビで映画を楽しむのは、安アパートで出来る事ではない。なんともありがたい事だ。持つべきは金持ちの身内 と言える。
 余談だが、ソファーとテレビは前の住人が置いていったものだ。更に言えば、冷蔵庫に洗濯機、その他の家電やら家具やら、一通りの生活用品がこの部屋には 残されていた。前の住人に関して、叔父はお茶を濁すばかりで何も教えてはくれなかったが、まぁいい、労せずして手に入った財産は何も考えずに受け取るのが 一番だ。

 そして現在、夏が過ぎて大分涼しくなってきた頃。何故、叔父がこの広い部屋を気前良くただで貸してくれているのかを俺は身をもって知る事になった。


/1 そのはじまり


 ごう、という強い風が外に鳴り響いている。締め切った雨戸を絶え間なく水滴が叩く。
 俺は例によってソファーに座り、のんびりとビール片手にテレビを見ていた。
 画面の中では可哀想に女性キャスターが合羽を着せられて海辺に立たされている。
「大変だねぇ。お仕事とは言え」
 台風、だ。それも超大型の直撃。
 風雨が強まったのは夕方近くの事だった。朝から風の強い日だったが、午後に入ると雨雲が広がりだした。台風が来るのは朝のニュースで知っていたので、俺 は午後の授業を自主休講し、駅前のレンタルショップで洋画を2本借り、ついでにスーパーでビールと惣菜を買って帰ってきたのだ。案の定、自宅に帰りついた 頃には空は分厚い雨雲に覆われて雨が強くなった。
 台風は今夜一晩をかけてこの地方を通過するらしい。俺は、にんまりと笑顔を浮かべた。
 やはり嵐の晩てのはいい。風呂上りに台風情報を見ながら飲むビールは格別なものだ。
 時刻は夜8時を回った所。ニュース番組が終わり、一通りのチャンネルを回して、もう見て楽しいものはないと判断した俺は、昼間借りてきたDVDに手を伸 ばした。ちなみに2本ともホラーだ。ちょっと古めのゾンビ物と、割と最近のサイコ物。迷った挙句、俺はサイコ物の方を手に取った。見ながらの晩飯だ。腐っ た死体より出来立ての死体の方がまだましだろうという判断。さて、吉とでるか凶と出るか。
 部屋の電気を消して(やはり映画を見るときは暗くしないと!)、DVDをPS2にセットする。強い風と雨が、いい具合に臨場感を高めているじゃないか。

 1時間後、映画も後半に差し掛かった所で俺は溜息をついた。結構怖い。というかエグイ。クトゥルフ神話の化け物を呼び出したいという妄想に取り付かれた 男が異常な殺人を繰り返す話なのだが、生々しい描写などはないのに、見る者をじわじわと締め付けてくるような作りになっている。後半からは直接的なシーン も増えてくるだろう。
 喉を通る唾が硬い。コップが空になっていたので、飲み物を持ってくることにした。DVDを一時停止し、空になった夕食の皿を持って台所に行く。冷蔵庫を 開けて紙パックのウーロン茶を取り出し、ついでに戸棚から買い置きのポテトチップを取り上げたところで異変が起こった。

 止めた筈のDVDが、勝手に動いている。

(なんだ? 故障か?)
 踵を返し、リビングに戻ろうとした時、短い悲鳴が聞こえた。次いで泣き声。それは明らかに、――テレビのスピーカーからの物ではない。
(誰かが、いる?)
 ウーロン茶とポテトチップをテーブルに置き、リビングではなく玄関へ向かう。そして傘立てにつっこんであった金属バットを握ると、今度こそリビングへと 向かった。

 それは実に奇妙な光景だった――。
 ドアを開けて目に飛び込んできたのは、テレビの画面から上半身を出し、泣き喚いている女の姿だったのだ。

「うわあああん! やぁ、やだよぅ!」
 上半身だけを画面から出し、床に手をついてもがいている。時折後ろを振り返っては、いやいやをするように頭を振って、またもがく。
 状況から察するに、這い出ようとしているのに足に力が入らなくて出るに出られないといった所だろうか?
 俺としては取り乱すべき所なのだろうが、向こうが恥も外聞もなく取り乱しきっているので、こちらとしてはポカンと見守る以外なかった。
「えーと……」
 どう声をかけようか迷っていると、彼女も俺の姿に気付いたようで、泣きはらして真っ赤になった目を向けてくる。
「た、助けてくださいよぅ!」
「お、おう。まぁいいけど」
 努めて冷静に、俺はえぐえぐとべそをかいている女を抱き上げて、ブラウン管から引きずり出した。
 透き通るほど白いうなじ、割と豊かな胸とほっそりした腰、長い黒髪。いずれもかなり魅力的ではあるのだが、涙と鼻水でべちゃべちゃになった顔が、それら を台無しにしていた。
 彼女は俺にしがみつき、ほっと溜息を一つついて、恐る恐る後ろを振り返った。
 テレビでは丁度、顔中に返り血を浴びた犯人がカメラ目線でにたりと笑った場面が。これはエグイ。
「うわああああああん!」
 と思ったのも束の間。彼女はまたも火がつくように泣き出した。子供かよコイツ。
 俺は相変わらずバットを片手に持ったまま途方にくれるしかなかった。

   /

 時計の針は10時を刺している。雨と風はいよいよ勢いを増し、時折遠くのほうでガランガランという音がする。恐らくは看板か何かが風で飛ばされて舞って いるのだろう。
 その音にびくびくしながらも、彼女はウーロン茶を飲みつつ、懐中電灯の明かりの中、じっと座っていた。

 パニックを起こした彼女をなだめるのは実際容易ではなかった。部屋の明かりを着け、DVDを止めてテレビを消して一時は落ち着いた、と思いきや。部屋の 電気がパッと消えたのだ。明かりだけでなく、ビデオに表示される時計やテレビやPS2の主電源を示す赤いランプ、その他諸々の電気の光が一斉に消えた。つ まりは停電だ。多分電線が切れたか、変電所に異常が発生したか、その辺りだろう。
 問題なのは、一度は点いた明かりが再び消えたことで、俺にしがみつく正体不明の女がまたも恐慌状態に陥った事にある。
 仕方なく俺はそいつをしがみつかせたまま、暗闇の中で懐中電灯を探った。
 首尾よくリビングの棚に置いてあったのを見つけたのはいいものの、点灯のタイミングが悪かった。自分の顔に、下から明かりを当ててしまったのだ。よく、 暗闇で人を脅かすためにやるように。
 それを見てまたパニック。電灯をテーブルに置き、泣いてる赤ん坊をあやすように、俺は彼女の背中を撫でたり頭を撫でたりして、とにかく優しく声をかけ続 けた。
 そうして苦節数十分。やっとの事で落ち着いたそいつに飲み物を渡して、ようやくまともな会話が出来るようになったのである。

「で、だ」
「はい」
 2人して床に座り込み、お互いにコップ半分くらいのウーロン茶を飲んだところで、俺はおもむろに切り出した。
「お前は、何なんだ?」
「えっと……。その」
 言い辛そうに、きょろきょろと視線を漂わせている様は、とても妖しいが、はっきり言ってそれ以上に情けない。
「ぶっちゃけた話。――幽霊か?」
 思い切って尋ねると、彼女は一瞬びくっと体を振るわせた。それは正体が露見した為ではなく、単に幽霊という言葉に怯えただけだろう。しばし逡巡した後、 それが自分を指す言葉だと悟ったのか、観念した様子でおずおずと口を開いた。
「はい。そういう事になるんだと思います」

 幽霊――。
 俺はその手の話は嫌いじゃない。と言うよりむしろ好きだ。ホラー映画好きという事もあり、今まで、いわゆる怪談スポットなる場所に何度も言った事があ る。だが、一度も幽霊など見たことはない。ラップ音やらポルターガイストやら、果ては金縛りやら、そういった体験をしたことも一度もない。つまる所、非科 学的な超自然現象なるものは、基本的にまったく信じない。
 ……のだが。ついさっき、コイツがテレビから出てくる所をばっちり見てしまった。その上、自分の手で引きずり出した。無論、その後でブラウン管を確かめ ても、極々普通のガラスがはめ込んであって、物理的な何かが通り抜ける余地はまったくない。
「えっと……?」
 戸惑う彼女をよそに、肩やら頭やらをぽんぽんと軽く叩いてみる。
「触れるな」
「は、はぁ」
「幽霊なんじゃないのか?」
「幽霊だと思いますけど」
「……」
「……」
 お互い顔を見合わせる。目の前の女は、何ともいえない表情をしていた。多分俺も似たような顔をしているのだろう。
「あ、分かった」
「え? えっと、何がでしょう?」
「お前アレだ。幽霊じゃなくて妖怪だろう! それなら説明がつく」
 どう説明がつくのかは分からないが、とにかく妖怪なら実体があってもおかしくない。
 だが彼女はぶんぶんと首を振った。
「違いますよう。幽霊です」
「……そうか」
「……はい」
 俺たちは再び顔を併せて、何ともいえない表情を浮かべた。


 自称幽霊の女。見た感じ、少女とは言えないが、大人の女と言うにも抵抗がある。俺より一つ二つ下だと思ったら、上だった。24歳なのだそうだ。ただし幽 霊なので享年という事になる。
 背は160には届かないかくらい。やや童顔。髪は長く、腰までとはいかないが背中の中程まではある。全体的にほっそりした印象を受けるが、着やせするの だろう。さっき撫で回した時の感じでは結構出るところは出ていて肉付きは悪くない。着ているのは白い和服。経帷子というやつだろうか、いわゆる死装束だ。 頭の三角頭巾や脚絆に手甲などはないようだが。
 そして、極端に怖がりのようで、物音がする度に身をすくめている。

 聞くところによると。
 彼女自身、何故実体を持っているか分からないらしい。ただ、これまで何度か普通の幽霊としてこの部屋に出てきた事があるそうだ。その時の事ははっきりと 覚えていないが、この部屋の住人を幾度となく驚かせてしまって申し訳なく思っているとか何とか。
 なるほど。これが叔父がただでこの部屋を提供した理由か。部屋数も立地条件も悪くないのに住人が長く居つかないわけだ。幽霊つきではな。
 話はもう少し続く。
 彼女は自分が何故幽霊になったのか覚えていないらしい。それどころか、自分が何故その若さで死んだのかも記憶にないそうだ。生前の事についても同様で、 覚えているのは自分の名前と年齢、そしてその最後の誕生日の日付だけ。
 それによると、彼女が24歳になったのは1982年の9月20日。今から20年以上前の事だ。
 何かこの世に未練でもあったんじゃいのかと聞くと、暫く首をひねってから、「幽霊になるほどの事はないと思います」と答えた。

「さて、どうしたもんかな」
 どう見ても害のない普通の人間でしかなさそうだが、普通の人間が嵐の晩にテレビの画面から突如出てくる筈もなし。超自然現象の類に属する何かである事は 確かだ。
 幽霊か。無理に追い出したりしたら祟られたりするんだろうか? コイツにそんな根性があるようにも思えないが、寝ている間に枕元に立たれでもしたら厄介 だ。
 ふむう、と顎をさすって考え込むと、件の幽霊女はおずおずと尋ねてきた。
「あの、何を考え込んでらっしゃるんでしょうか?」
「ああ、お前さんをどうしようかと思ってさ」
「どうする、とおっしゃいますと?」
「いやほら。幽霊なんだろ? 無理に追い出したら祟られたり枕元に立たれたりするのかな、って」
「うぅ。私は祟ったりなんかしませんよう」
「そうなのか? じゃ、出てってくれるかな。ここ、俺んちだし」
「えええー!? そ、そんなぁ……。私、どこにも行くあてなんかないんです。お邪魔はしませんから部屋の隅っこにでも置いて欲しいです。お掃除だってしま すし、お洗濯だってしますし。お料理だって出来ますし。……あ、でも、どうしても邪魔だとおっしゃるなら、仕方ないですが……」
 下を向いて、うううと唸りながらグチグチとカーペットを引っかく姿は、なるほど幽霊らしかった。長い黒髪と死装束、明かりが懐中電灯だけというシチュ エーションも拍車をかけて、とても不気味ではある。
 まぁ、こちらとしても家事をやってくれると言うのであれば助かるし、一人で住むには広い部屋ではあるし、彼女一人置くぐらい問題はない。それに幽霊とは 言え、女性一人を路頭に迷わすというのも確かに夢見が悪い事ではある。
「えーと。……貞子、だっけ」
「え? 私ですか?」
 しまった。きょとんとしている。大分前に死んだそうだから、このネタ通じないんだ。
「あの、私は貞子という名前ではないんですが」
「ええい黙れ。昨今、テレビから出てくる奴は貞子だと相場が決まってるんだ。大人しく貞子にしておけ」
「ううう、やですよう。私には紗智子という立派な名前があるんですよう」
「似たようなモンじゃないか。2文字もあってる」
「うううー。紗智子ですー」
 目に涙を浮かべてシャツを引っ張られたりすると、さすがに悪い気がしてきた。小さい子供をいじめてるみたいだ。コイツは本当に24歳なんだろうか。
「分かった。分かったよ、紗智子でいいんだな?」
「はい、和泉紗智子といいます。あの、ところで、あなたのお名前は?」
「ああ、俺は和岐。伊庭和岐だ」
「分かりました和岐さん。それで、その、和岐さん。私は、その」
「うん? ああ、いいさ。とりあえずここに居るといい。成仏するまでにせよ、他に行くあてが出来るまでにせよ、当面はここに置いてやる。でも、そのかわり 家事くらいはしてもらうぞ」
「あ、ありがとうございますっ。私、何でもやりますから!」
「そうか」
 その言葉に、俺はにやりと笑ってこう答える。
「じゃ、一緒にホラー映画見ような」
「…………」
 見る見るうちに目に涙が溜まる。いやいやをするように頭を振り、必死の眼差しで言葉もなく俺に何かを訴えている。
 そんなにイヤか。まぁ、出てきたときの事を考えればさもありなんだが。
「分かった。分かったから、そんな顔するな」
 苦笑しつつ言うと、彼女はあからさまにホッとした顔になった。
「しかし怖がりだな、お前。ホントに幽霊なのか?」
「幽霊でもこんな真っ暗なのは怖いですよう。それになんか、ごうごう鳴ってますよう。ううう。私が知らない間に、世界はどうなっちゃったんでしょう。まさ か戦争でも起きて、はうっ。じゃあここは核シェルターの中だったりするんでしょうか!?」
 テンパッているからなのか、それとも素なのか、割と想像力が豊かな奴ではあると思う。
「いや、台風が来てるだけだ。ここは普通のマンションだっての」
「そ、そうでしたか……。きゃあ!」
 ビョウとひときわ激しい風が雨戸を叩き、その音に怯える自称24歳。面白いので少しからかってみる事にした。
「あっ! お前の後ろに幽霊が」
「えええっ! う、うわあああああん!」
 ひし、と俺の腰にしがみついて来る紗智子。俺はその肩をぽんと叩いた。
「あのな。お前も幽霊だろ」
「はあっ! そ、そうでした」
 しゅんとうな垂れるその姿は、怪談に出てくるような幽霊とは程遠い。
「もう少し、なんだ、幽霊としての自覚を持った方がいいんじゃないか?」
「でも、でも、怖いですよう。幽霊なんて」
「だからお前がその幽霊なんだろうが」
「ああっ……」

 暗闇に懐中電灯の明かりだけという状況で、幽霊とは言え、女性にしっかりと抱きつかれていると、流石に自分の中の男の部分が首をもたげてくる。
 俺は少しいたずら心を出して、彼女の腰に回した手をさわさわと動かしてみた。
「ひゃっ! えー……と」
 戸惑っているようだが、離れようとはしないのでそのまま優しく撫でるように、もう少し手を下へと動かす。
「はぁっ、んっ。……その、和岐さん?」
「うん? どうした?」
 左手で彼女の肩を抱き、右手の動きはそのまま止めず、俺は耳元で囁くようにしれっとした答えを返して見せた。
「ぁ、んん――と。……ひゃんっ」
 右手は更に下へ。もう完全に尻をさわっている。彼女はこういう事に慣れていなかったのか、どう対応していいのか分からないようだ。
「あ、あの。その……手が」
「うん。手が、どした?」
「お尻、さわってます。私の」
「さわってるなぁ」
「えと。ど、どうしてなんでしょうか……?」
 ごうごういってる風の音が怖いのか、相変わらずしがみついたまま、紗智子は上目遣いで俺を見上げる。
 年上のはずだが、童顔もあってか、それは随分と可愛らしい。俺は彼女の尻を、それほど力を込めず、でもしっかりと鷲掴んだ上で、さわやかに言い放った。
「なんとなく!」
「なんとなく、って……」
 多少呆れた顔になる紗智子だが、その時、外で激しい物音が響いたため、またも悲鳴を上げつつ俺にぎゅっと体を寄せた。
 腹に押し付けられる彼女の胸の感触がとても心地良い。ジーンズが窮屈に感じてきたのは臨戦態勢が整いつつあるという事だろう。うん、これ以上はちょっ と、自分が抑えられないかもしれないな。
 何故か冷静に状況を判断していた。実際の所、彼女がテレビから出て来た時に驚くタイミングを失ってから、自分脳が常識人としての理性を放棄しているよう な感じだ。
 とりあえず目の前にある現実を受け入れるべし。考えるのは明日の朝でよろしいだべし。そうと決まれば、この瞬間を逃すのは男としてダメだべし。

 俺は彼女の尻に当てていた手を、今度は太股を伝って膝の後ろへと移動させた。そしてゆっくりと彼女を抱き上げ、半歩下がってこの部屋自慢のソファーへ どっかりと座る。
「あ、その」
「いつまでも床に座ってたら、足が痛いだろ?」
「はぁ。それは、そうなんですが」
 左手で紗智子の腰を抱きしめ、右手は掌全てを使って背中全体を上下に撫でる。うなじの辺りから腰までを、丹念に。
「はぁっ、ん。……あの、そんなに撫でられると、その。――んっ!」
「うん? イヤか?」
「あーと、その、イヤってわけじゃ……。きゃあ!」
 ここでまた外で物音。やはりぎゅっと抱きついてくる紗智子。俺はその勢いで彼女の顔に頬を寄せた。背中を撫でながら、少しばかり頬擦りしつつ耳元で囁 く。
「大丈夫。部屋の中にいれば怖くないよ。大丈夫」
「ぁ、……はい……」
 我ながら、ちょっとずるいやり口だな。と思いつつも手は休めない。
 右手で撫でる範囲を背中から尻、そして太股へと広げていく。左手は頭を撫でたり髪をすいたり、時折首筋を撫でてみたり。ついでに顔をずらして額やら髪や らに軽くキスをしてみたり。
「はぁ……、はぁ……。――んっ、はぁ、んっ」
 紗智子の方も次第に力が抜け、息遣いにも甘いものが混じってきた。後頭部を撫でられるのが好きなようで、撫でるたびに目がとろんとする。
「……あっ――!」
 短く、くぐもった悲鳴があがる。俺が着物の裾を割って、彼女の太股を直に触ったためだ。そのまま手を滑らせる。きめの細かい素肌の感触は絹をさわるより ずっと気持ちが良い。吸い付くような肌とは、こういう事を言うのか。と、妙に感心しつつ足を撫で上げる。
 下着はちゃんとつけているようだ。暗いので手触りでしか分からないが、木綿で飾り気のない物。
「あっ、うあんっ――!」
 内股に手を伸ばす。少し感触が違う。しっとりとしている。紗智子は身をよじったが、腰にまわした左手が彼女を逃がさない。
 股間は敢えて避け、内股から下腹をさするように撫でまわす。びくっと軽くはねる彼女を軽く支え、首筋から顎、そして頬から額を唇で触れ続ける。そしてお 互いの鼻を擦り合わせると、紗智子の口の端から少しだけ涎が覗いた。それを舌先で舐めとる。彼女の吐息が、熱い。
「紗智子」
 はっきりと目を見つめて名を呼ぶ。彼女は戸惑っているようだが、否定の色はないように見えた。
 俺は、今度はちゃんと唇同士を重ね合わせた。
「んむ――」
 何かを言おうとしていたが無視する。唇は離さない。そのまま右手で彼女の胸を触る。布越しなのがもどかしい。だが、紗智子はまだ火がついていない。焦ら ず、ゆっくりと軽いタッチでさするように触れる。
 彼女の体が小刻みに震える。我慢しているのだろう。親指の腹で胸の先端部分を軽く擦ると、紗智子は切なげに身をよじった。
 口を離す。大分息が荒い。頬や額にキスをしつつ左手で頭を撫でる。右手は少し力を込め、怖がらせないよう、ゆっくりと胸を揉む。
「あっ、あっ……」
 俺の太股にジーンズ越しでも分かるくらいの水気を感じる。――濡れてきたんだ。
 もう一度唇にキスをする。彼女はすんなり受け入れた。だが舌先で唇を割り、口腔に進入しようとすると、ビクッと震える。抵抗はしないが、意図が分からな いのか、口は閉じられたままだ。
 暫くは彼女の歯や唇の裏側を舐め続けた。朝晩の歯磨きを励行していたようで、健康そうなツルツルとした歯は舐めていて気分が良い。だがそれだけでは何 だ。俺は左手で彼女の後頭部を軽く押さえ、右手で顎を少し引かせる。力は入っていなかったようで、口は簡単に開いた。
 舌を伸ばし紗智子の口腔を犯す。
「んはふっ……」
 中は唾液で溢れていた。それを自分の舌でかき混ぜ、舐め取り、飲み込む。やがて彼女の舌も恐る恐るではあるが動き出し、互いの舌が絡んだ。
 ぴちゃぴちゃという音が暗い室内に響く。絡み合う舌の動きが徐々に複雑になる。唾液の交換が気に入ったのか、彼女は自分の両手で俺の頭を抱えた。
 俺は俺で彼女の頭に添えていた手を再び胸に回す。服越しでも胸の先端が硬くなっているのがはっきり分かった。
「はああっ、はああっ――」
 紗智子の呼吸がいよいよ荒くなる。俺は経帷子の帯をほどいて前をはだけさせた。彼女の素肌に手をはわせる。ブラジャーもまた飾り気のないシンプルなもの だった。手を止める事無く、それを下から捲り上げる。プリンを皿に落とした時のように、形の良い胸が震えた。
 柔らかい――。指で軽く押さえるだけで形を変える乳房は、着物越しに触った時とは比べ物にならない、絶妙の感覚をもたらしてくれる。
 掌で包み込むように、だが優しく揉みしだく。上から、下から。撫でるように、摘まむように。
「ふあっ、あっ、ああっ!」
 途切れ途切れに挙がる紗智子の声は、今までのような戸惑いを伴ったものではなく、快感に震える甘い鳴き声だった。
 それがひどく愛おしい。
 手を離し、だが唇で硬くなった乳首を挟む。舌先で転がす。歯で軽く噛む。その度に上がる紗智子の鳴き声が、頭の中で大きく響く。
 俺は彼女の胸を口でいたぶりながら、右手を下腹にあてた。そのまま下へと移動させ、指で彼女の秘所を探る。
 下着は完全に濡れていた。少しとろみのある液体が指に絡みつく。クレヴァスに沿って中指を動かすと、温かい愛液は更にその量を増した。
「あっ、あっ。……そん、なっ――。あああっ」
 小刻みに震える紗智子が可愛くて、俺は指の動きを止められない。緩急をつけて擦れば、彼女も、その動きの通りに鳴き声を上げた。
 乳首を、舌で跳ね上げるように、強く舐め上げてから離す。俺は一度彼女を持ち上げて、抱え直した。仰向けにさせ、後ろから抱きしめるような体勢に。
 紗智子は、何か掴んでないと不安なのか、両手を中にさまよわせていたが、俺が左手をとって握ってやると安心して力を抜いた。
 身を任される感覚というものは、ひどく良いものだ。性欲とは別のところで、自分が彼女を包んでいるという一体感がある。俺は男性上位主義者ではないが、 こういう、ある種の保護欲をかき立てられる感覚は好きだった。
 とは言え、それで性欲が萎えるわけではなし。俺は左手で後ろから紗智子の胸を掴み、多少強めに揉む。そして右手を下着の中にそろりそろりと侵入させる。
 お世辞にも濃いとは言えない陰毛がかえって彼女らしく、俺は見えないように少しだけ笑った。やがて辿り着いた秘唇を、その筋に沿ってやはり中指で撫で る。
 閉じられたその部分は、だが次から次へと蜜が溢れている。俺は彼女の秘唇を割り、愛液をたっぷりと絡ませた指を、その中へと差し込んだ。
「あああぁん!」
 途端、ビクリと紗智子が跳ねる。だがそれ以上は力が入らないようで、あふあふと苦しげな呼吸を繰り返し、軽く身もだえするだけだ。
 もう少しだけ指を奥へ。そして第二関節まで埋まった所で軽くかき混ぜる。と言ってもかき混ぜるという程の余地はないので、ちょっと指を曲げる程度だ。
 彼女の中は、予想以上に狭い。
「うあああんっ! ふあっ! んんぁっ――」
 柔らかい肉の襞を爪で傷つけたりしないように、慎重に指を出し入れする。
 中指の第二関節までだというのに、紗智子の反応は激しかった。腰にこそ力は入らないようだが、ガクガクと体が震え、甘い鳴き声はいっそう強くなる。
 それでも丹念にその部分を揉みほぐす内、徐々に固さがとれてきた。
 紗智子の口の端からは唾液がこぼれていた。俺はそれを軽く舐めとると、彼女は弱々しくも俺の舌を求めてきた。舌を絡め、再びディープキス。口を離すと、 混ざり合った唾液が、お互いの唇に一本の橋を作った。
「下着、脱がしていいか?」
「…………」
 俺が紗智子の濡れた下着に手をかけて聞くと、彼女は無言で腰を少しだけ浮かせる事で答えた。
 ゆっくりと両手で下着を脱がせる。懐中電灯のオレンジの明かりが照らす中、彼女の秘所があらわになった。愛液で濡れたそこは、とても淫らで美しい。
 俺は続いて、自分のジーンズのボタンを外し、ジッパーを下ろして、トランクスの中から硬くなったペニスを取り出した。
 それを見た紗智子がゴクリと喉を鳴らして唾を飲む。その表情はやや固い。怖がりの紗智子は少し怯えているようだ。
 確かに、淫靡な女性器に比べると、男のそれは凶器にすら見える。
「大丈夫だ。怖くない」
 努めて優しい声で言いつつ、俺はペニスを紗智子の秘唇にあてがった。
 まだ入れはしない。さっき指でしたように、クレヴァスを優しくなぞる。愛液を絡ませながら、時に早く、時にゆっくりと。
「はぁぁぁ――っ。んんんああーっ」
 徐々にその動きを大きくする。両手で彼女の太股を抱え、ほんの少し持ち上げて、そして下ろす。亀頭の部分でなぞり上げながら。
「あっ、あっ、あっ!」
 彼女が痙攣するように小刻みに震えた。限界が近いようだ。俺もこれ以上は我慢できそうにない。
 腰を抱き、耳元で囁いた。
「紗智子、……いいか?」
 彼女は、だが頷かずに身をよじった。逃げようとはしていない。体を捻ろうとしているのだ。涙目で盛んに俺の顔を見ようとしている。
「んっと、後ろからはイヤ? 前からの方が良い?」
 そう尋ねたのが正解だったらしい。コクコクと首を縦に振った。
 俺は紗智子を抱き上げて立ち上がり、再び体勢を入れ替えた。彼女だけをソファーに下ろし、俺は覆いかぶさるように上に。
 腰を抱きしめて、一度濃厚なキスを。そしてまた囁く。
「……いくぞ?」
 今度は彼女も頷いた。うっとりとした顔で俺を見上げる。
 両手で足を開かせ、やや上に押し上げる。ペニスを濡れそぼった彼女の入口にあて、ゆっくりと秘唇を掻き分ける。だが、きつい。
 先端を差し入れた所で、それ以上はダメとばかりに押し返してくる。
「紗智子、紗智子。大丈夫だ、怖くないから、力を抜いて」
「………」
 彼女は健気にも、呼吸を整えて懸命に力を抜こうとしている。息を吸って、吐く。それを何度か繰り返す。その甲斐あって、ふっ、と入口の扉が僅かに開い た。
 俺はその隙を逃さず、彼女の膣口へとペニスを潜り込ませる。そのままゆっくりと、挿入した。
 柔らかい襞が絡みつく。細かい煽動がダイレクトに伝わってくる。紗智子の膣内は狭く、苦しいほどペニスを締め上げてくるが、それがむしろ恐ろしいくらい の快感を呼び起こした。
「くうっ……、ん、んんんんっ!」
 彼女が身をよじる。その不規則な動きに、脳内麻薬の分泌が促進されているのか、感覚が普段よりずっと鋭敏になっている気がする。
 ああ、ダメだ。じっとなんてしていられない!
 俺は彼女の腰を掴むと、構わずに抽送を始めた。無茶苦茶に動きたい気持ちをなんとか堪え、奥歯をぐっと噛み締めて、ゆっくりと。
「ああああっ! ああああっ! んああああっ!」
 紗智子の甘い嬌声が頭に響く。いや、響くなんてものじゃない。脳髄を直接叩かれているようだ。
 徐々に腰の動きをペースアップさせる。単純なピストン運動だが、それで十分すぎるほどの快感を生んだ。
「あんっ、んんっ! 和岐さんっ! うあんっ――、か、ずきさんっ!」
 紗智子も、目から理性の光が消えつつある。俺の名前をうわ言のように呼ぶだけで、口から溢れる涎を拭おうともしない。
 もう、お互い限界だ。なら、後は果てるだけ。
 一切の容赦なく腰を突き上げ、彼女の膣内でペニスを大きくスライドさせる。抽送のスピードは更にあがり、互いの体を叩きつける勢いで腰を動かす。
「あんっ! あっあっあっ! ふぁああぁあっ! んぁあああ!」
「紗智子っ!」
 ぎゅっと抱き合い、最後の一突きを彼女の奥深くに叩き込んだ。体の中から堰を切って溢れた洪水のような感覚に、まるで自分そのものが押し流されるよう だ。
「ああぁぁ――――っ!」
 一際高く、紗智子が鳴き声を上げる。それを合図に、俺は彼女の膣内へと精液を注ぎ込んだ。
 紗智子にも自分の中に熱い塊が流れてきているのが分かるのだろう。俺の胸板に顔を押し付け、腰をきゅっと掴んで離そうとしない。
 二人繋がったまま、俺は射精後の気だるい感じに身を任せた。彼女の髪を掬い上げ、軽く撫でる。紗智子は気持ちよさそうに目を細めた。

 その姿は、とても、困るぐらいに――可愛い。
 幽霊だとか、会ったばかりとか、そんな事は既に頭になかった。ただ本気で目の前の彼女を愛したいと思った。

 この時、俺は本当にそう思ったのだ。

   /

 その後どれくらい、じっと抱き合っていたのだろうか。
 言葉もなく、俺はただ彼女の髪を撫で、紗智子は俺の胸板に頬擦りしたり、首筋に顔をうずめたりしていた。時折、唇を寄せ合い、舌を絡ませたりもして。
 外の風は若干弱まったようで、もう紗智子が物音に驚く事はなくなった。ただ雨の量は相変わらずで、ざあざあと地面を叩く音が絶え間なく鳴っている。

「きゃあ!」
 と、不意に紗智子が叫んだ。明かりが点いたのだ。今頃になって電気が復旧したらしい。いや、外の状況を考えれば早い方か。電気会社に人にご苦労様、と言 いたくなる。
「明かりが点いても驚くんだな、お前は」
「えっ」
 つぶっていた目を開き、紗智子が顔を上げる。
 自然、お互い見つめあう格好になるのだが。
「………」
「………」
 煌々と点いた蛍光灯の明かりの中、裸で抱き合ってるというのは。結構恥ずかしい。
 見る見る内に紗智子の顔が真っ赤になる。多分俺もだろう。
 ついさっきまであれほど愛し合ったのだが、それはそれとして。
 彼女は完全に固まっている。頭からは湯気が出そうではあるが。俺は俺でなんとなく視線を外して壁を睨んでみたりした。そこに見えたカレンダーの中のパン ダの絵が、何故かとても和む。ただ、彼女の体を離すのは惜しいと、頭のどこかが判断して、手はそのまま紗智子を抱いているのだから現金なのもだ。男という のは。
 とは言え、このまま二人して固まっていてもしょうがない。
「えーと、なんだ、その。シャワーでも浴びるか?」
「そ、そそそ、そうですね!」
 急に立ち上がり、駆け出そうとした紗智子だが、足に力が入っていなかったのか、ステンと転んだ。そして、うー、と唸る。
 そのままにしておくと罪悪感が沸きそうだ。俺は苦笑しつつも立ち上がり、彼女の元へと歩み寄って抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこという奴で。
「うあん! えっと、和岐さん?」
「連れてってやるから、大人しくしとけ」
「は、……はぃ」
 今更ではあるが、一応紳士的に彼女の体を見ないようにして風呂場に運ぶ。紗智子は逃げるようにバスルームに飛び込み、ピシャっとガラス戸を閉じた。まぁ こちらとしても、そこまで一緒するつもりはないのだが。――少なくとも今日の所は。
 洗面所にバスタオルと、着替えを出しておいてやる。女物などある筈もないので、俺のパジャマだが。下着は、どうしようもない。大きめのTシャツで我慢し てもらおう。
「おおい。一応、着替え置いといたからな。今日はこれ着とけー」
『うわああん! って、あ、はい! ありがとうございます』
 まだ俺が居ると思わなかったのか。紗智子の驚く声がバスルームに響く。しかし本当によく驚く奴だ。


 その後、交代で俺もシャワーを浴びる。
 出てきた頃には11時半を過ぎていた。
 紗智子はパジャマ姿でぺたんと床に座り、リビングに放り出してあった雑誌などをぺらぺらと捲っていた。
「今は、2004年なんですね……」
 こちらを見ずにポツリと呟く。その背中は、どこか寂しげではある。コイツが覚えている最後の記憶は1982年の9月。今から22年前となると、俺が生ま れる前の話だ。
 22年。21歳の俺には分からない数字。
「私は、自分の事すら覚えていません。きっと、お友達も、私の事なんて覚えてないんでしょうね」
「……そんな事ないさ。そりゃまぁ、昔の事かもしれないが、皆覚えてるさ。折角、実体があるんだ。俺が調べてやるから訪ねてみちゃどうだ? 家族だってい るんだろ?」
「あははっ。面白いかもしれないです。でも、きっと困りますよ。私は、ずっと前に死んだ人間なんですから」
 そう言って紗智子は、また背を向けた。言外に、放っておかないでくれ、と訴えているようにも見える。
 だから俺は紗智子の傍に腰を下ろし、後ろから肩を抱いた。
「ん。まあ、そうかもしれないな。なら、ここにいればいいさ。さっきも言った通り、どんな形であれ自分の行くべき場所が見つかるまで、ここがお前の場所 だ。それになんだ。どっちかというとお前の方が先住者みたいだしな」
「和岐さん――」
 振り返った紗智子は、じっと俺を見つめて、やがて小さな声で「ありがとう」と言った。

 しんみりするのはコイツのキャラに合わない。無論俺にもだ。だからわざと明るく、彼女の肩をぽんぽんと叩きながら俺はテレビの方を向いて見せた。
「さて、寝るにはちっと早いな。さっき映画の続きでも見ようかと思うんだが、どうか?」
「いーやーですよう」
「そか、いやか。じゃ、もう一本借りてきた別の映画を見よう」
「そうしましょう! それがいいです」
「よしよし。コレも面白いぞう! ちょっと古めのイタリア映画なんだが」
「イタリアですか。いいですねえ、ラブロマンスですか?」
「いや、ホラー。ゾンビ物」
「うわあああああん、和岐さん意地悪だぁっ!」


 こうして、幽霊――和泉紗智子との奇妙な同居が始まった。
 俺は決して善人ではない。もし出てきたのが男だったり年寄りだったりしたら、容赦なく追い出すなり祓って貰うなりしただろう。
 いたずら心からではあったが、紗智子は俺の求めに抵抗はしなかった。それだから、と言うわけではないし、見返りとしてというわけでもないが、俺は彼女の ために出来る事があるなら、出来る限り力になってやりたい。
 ――そう思った。

モ ドル