唇をあなたに

 

 可愛い女の子が、軽く目を瞑って顔を上に向ける。細くて綺麗な白い首が、クッと伸び、鎖骨がチラリと見え隠れする。その姿勢で「んっ……」などと言われては、思わず唇を奪いたくなるのが男と百合の人のサガだ。
 ある日の放課後。俺は借りていた本を返しに図書室を訪れた。図書委員に返却のスタンプを押してもらい、後は元の棚に本を戻しておけば終了だ。俺の通う学校は創立者の意向で図書室に結構力を入れており、質、量ともに中々の物だ。位置的には校舎の奥だが、図書室の部分だけ3フロアぶち抜きになっており、規模としてはちょっとした図書館並と言っていい。もっとも、良く閲覧される本は限られてくるので、マイナーな作家の全集など人気のない物が並ぶ3階部分は、立ち入った事もないという生徒が多いそうだが。
 返却手続きを終えた俺は、手に香山滋全集の7巻を携え、その人気のない3階部分に足を踏み入れた。江戸川乱歩はそれなりに人気があるのに、香山滋や海野十三が隅に追いやられているのは悲しい現実だが、それも致し方がない。
「あれ?」
「あ……っ」
 3階部分の更に奥、滅多に人の来ないNDC分類913の、人気作家以外の本が納められている棚には、珍しく人影があった。しかもあろう事か、こそこそと紙パックの牛乳を飲んでいる。俺が眉を顰めると、彼女は慌てて飲み物を背中に隠した。そして乾いた愛想笑いで場を誤魔化そうとしている。
 背は平均を僅かに上回る程度だが、それにしては豊かなバストが目を引く女生徒。知り合いであった。クラスメイトでもある。山岸美由紀という彼女とは、良く話すという間柄ではないにしても、お互いの顔と名前くらいは把握していた。
「まあ、俺が煩く言う筋合いじゃないけど」
「は、はい。あの……ごごご、ゴメンなさい。あの、その……」
 緩やかにウェーブした長い髪が揺れ、ノンフレームの大きな丸い眼鏡がズレている。普段は物静かで落ち着いた印象を受ける女の子だが、こうして慌てている姿を見ると、突発的なアクシデントには弱いらしい。わたわたと誤魔化そうとしている仕草は、小動物めいていて大変に可愛らしかった。
「それより、早く飲んじゃった方がいいぞ。零したら流石にバレる」
「そそそ、そうですね……あぅ。そうします」
 アホな男友達が本の価値も知らずにポテチをバリバリやってたと言うなら、俺だってそれなりの対処はさせてもらう。だが、山岸は紙パックで慎重に牛乳を飲んでいただけだ。勿論良くはないのだが、そもそも似たような事を良くやっている俺に彼女を咎める資格はないし、何より可愛い女の子だ。甘くなるのは仕方が無い。
「んっ、んっ。……ん」
 手に持っていた本を元の位置に戻した俺は、暫し山岸の姿に見惚れた。目を細めて一心に牛乳を飲む、その顔は幼い子供のようなのだが、ストローを吸う口元と液体を嚥下する喉元が変に色っぽく、そのギャップにやられたのである。
 途中で息継ぎを挟み、チュルチュルとストローを吸う山岸。困った事に、俺と目が合うと恥ずかしそうに顔を赤らめるのだから、こっちも変な気分になってしまう。まず人の来ない図書室の奥の棚というロケーションも絶妙だった。
「ん……んーっ。ん……ふぅ」
 コクリコクリと細い喉を鳴らし、ついに彼女がミルクを飲み終える。そして満足したのか、ホッと息を吐いて目を瞑り「んっ」と僅かに顎を上げた。
 その仕草、まるでキスをせがんでいるようだ――。
 いつの間にか牛乳をミルクと脳内変換してしまっているダメモードの男の子である。殆ど無意識の内に俺は山岸の側に寄り、そっと顔を近づけていた。
「――んんッ!?」
 やってしまったと気付いたのは既に唇を奪った後。最早、取り消しできない状況になってからだ。一瞬の間をおいてパニックに陥った山岸は、当然ながら俺を振りほどいて逃げようとする。だが実の所、混乱していたのは俺の方も同じで、こちらは彼女を逃がすまいと必死だった。
 双方が必死なら勝つのは純粋に腕力のある方で、山岸はついに俺に抱きすくめられてしまう。それでもジタバタともがくのだが、普段本より重いものを持たない華奢な女の子の身だ。正面から両腕ごとガッシリ抱き締められてしまうと何も出来やしない。
 ベソをかき、更にはポロポロと泣き出した彼女を前に、幾らか冷静になった俺は困った。自分から不埒な事を仕出かしておいて困るも何も無いもんだが、これは言わば青春の暴走であるので、若輩者としては困るしかない。だが、それで事が済むほど世の中は甘くないのは百も承知だ。何とか対処法を考えなくてはならない。
「んーっ。ん――ッ!」
 しかしである。問題の山岸は現在、健気にも体を固くして抵抗中だ。言い訳をする前にキスと拘束を解いたら、大声で泣き叫んでしまうだろう。そのまま逃げて誰かに訴えられたら俺は人間失格だ。そうさせないために、もう暫く彼女は虜囚の辱めを受けてもらうとして、今の内に誰もが納得の行く言い訳を考えなくては。
「んっ、んんーッ。ん……んっ」
 ああ、それにしても。女の子の唇の、何と柔らかい事か――。
 抱きしめた体は、緊張しているとは言え、これも繊細で暖かい。それに俺の胸板を圧迫する乳房の感触といったら、ただ押し付けているだけなのに震えるほど気持ちが良い。言い訳を、と思いつつも俺は山岸の体に夢中になっていた。やっている事は強く抱き締めて口をつけているだけだ。別に愛撫までしている訳ではない。が、それでも。
「んん……あむ。んっ、んぁ……んっ」
 俺が実はカチコチになって体勢を維持している間、襲われている彼女の方にこそ驚くべき変化が起こっていた。徐々に全身の力が抜けてきて、同時にギュッと閉じていた筈の唇が弱々しくも開き始めたのだ。そして頭の角度を少しばかりズラし、互いの鼻がぶつからないような位置になると、そっと自分の唇で俺の上唇を挟んできたのである。
「ん――んっ、んぁ。あむ……んっ」
 たどたどしく、恐る恐るではあったが、山岸の方から俺の口を味わい出したのだ。
 綿菓子のように柔らかく、そして微熱を持った女の子の唇が、次第に大胆に俺の唇を挟む。遅れていた現実の認識を脳みそがやっとの事で終わらせると、俺の方にも火がついた。
「ん……ん、ん――ッ! あぅ……あむ、んっ、んあ」
 既に山岸はホンの少し舌を伸ばし、チロチロと俺の上唇を舐めるまでになっている。そこへ俺も舌を突き出すと、流石に彼女はビクリと震えて動きを止めた。だが、それも一瞬。やがてお互いの舌が、本当にゆっくりとだったが、徐々に接触部分を増やしていく。
「んっ、ん。あむ……ん。んふ――ぅ、んっ。はぁ、はぁ……んっ」
 大人のキスと言うには稚拙過ぎたかもしれない。2人してカタカタと震えながら、少しずつ相手の舌を舐めあうキス。それでも、触れているだけで脳が溶けそうな感覚だ。
 やがて少しずつ慣れてきた俺たちは、舌を絡めあい、互いの唾液を交換して啜りあうまでにレベルアップ。我を忘れてキスにのめり込んだ。
「んん……んぐ、んっ。あんっ、ダメ……。んっ、んぁ」
 俺はきつく抱いていた彼女の両腕を解放し、そっと手で肩を支えるだけに体勢を変える。もう逃げ出せる格好ではあったが、むしろ逆に山岸の方から俺の腰に抱きついてきた。抗議すらされる始末で、リクエスト通りに背中に腕を回して抱き締めなおすと、彼女は安心したように力を抜いて身を任せてきた。
「んーっ。あむ、んっ……ん、ん。んふぅ」
 少し目を開いてみると、山岸は幼児に戻ったような無邪気な顔で、幸せそうに俺の唇を舐めている。頬は赤く染まり、瞑った目はトロンと垂れ下がり、心からキスを喜んでいるように見えた。そんな表情がむやみに可愛く、俺は右腕をそっと上の方へズラし、抱き包む姿勢はそのままに、彼女の頭を優しく撫でる。山岸もそれが気に入ったのか、更にうっとりと俺に寄りかかってきた。
 これはもう前進しても良いだろう。健康な男子高校生としては、そう判断せざるを得まい。この場合の前進とは、性的行為のエスカレートの事であり、つまりこのまま押し倒してOKなんじゃないかという事だ。
「山岸……可愛いな」
「んっ。あ、そんな……事」
 一度口を離してキスを切り上げ、俺は正面から彼女の目を見て囁いた。後にして思えば、良くもまぁキザな真似が出来た物だと歓心するほどだったが。それはともかく。頭だけ近づけて彼女と額を合わせ、チュと1回軽いキスをしてから、俺はそっと山岸の胸に手を伸ばした。
「ひ――っ! ダ、ダメぇッ!!」
 しかしながら、指先が乳房の先端を掠めると、山岸は急に全身を強張らせる。そして勢い良く俺を突き飛ばそうとした。結果、反作用でむしろ自分が後ろに倒れそうになる。
「あ、ダメ……これ以上は、ゆ、ゆゆ許して……」
 咄嗟に手を伸ばして彼女の腰を抱き、床に体を打ちつけるのを防いだ俺は偉い。ただ、山岸は自分が助けられたという事も理解できない様子で、必死に俺を拒んでいた。
「分かった。いや……ゴメン。俺が、無茶をしすぎた。本当にゴメン」
「あ……いえ。その、こちらこそ、その……」
 女の子の「ダメ」には種類があると聞くが、彼女のダメは本当にダメのようだった。さっきまで上気して赤く染まっていた頬は血の気が引き、むしろ顔色は真っ青だ。これは本気で怯えている。そう認識した俺は、それでも押し倒せと主張する本能を必死に宥めて山岸かを手放す。泣き喚きたくなるほど名残惜しくはあったが。
 途中から向こうもその気になっていたとは言え、元はこちらが加害者である。頭を下げるのは俺の方だ。だがテンパっている俺には棒立ちでモゴモゴと「ゴメン」を繰り返す事しか出来ず、むしろ山岸の方こそペコペコと頭を下げていた。
「あ、あ……あの。わ、私これでッ」
「や――山岸……」
 そして俺が戸惑って動けずにいると見たのか、彼女はサッとハンカチで口の周りを拭うと、危なっかしい足取りで逃げ出した。結局、俺は引き止める事も追いかけることも出来ず、ただボンヤリとしていただけだ。山岸のフラフラな後姿に、階段で転ばなきゃ良いがと思った程度にしか頭が回っていなかったのである。

 ここまでが、俺と山岸美由紀の間に起こった全て――という訳では勿論無い。
 話は最初のキスから一夜明けた次の日から始まった。

 古典の授業中、俺は眠い目を擦ってボーっと教師の口元を眺めていた。
 眠いのは昨晩、良く眠れなかったからで、それはやはり昨日の出来事が原因である。若さを持て余したのだ。夕食と風呂を済ませた俺は、自室に篭って山岸とのキスを思い出し、居ても立ってもいられず、自分の物を自分で慰めた。実際に現実の女の子と触れ合った後であるから興奮もひとしおだ。何のオカズも無しに、しかもあっという間に登りつめ、射精の量もいつもより多かった。
 しかしながら、それで満足できなかったのである。布団の中で思い起こすのは甘く悶える山岸の顔ばかり。更にキスと抱擁の感触を思い出して布団を抱けば、無意識の内に腰が動いてしまう体たらく。結局、二度目三度目のオナニーに突入し、まともに眠れたのは2時間ほどだったのである。
 それでも若さとは大した物で、午前中の授業を終えて昼飯を食べると体力もそれなりに回復。眠くはあったが、起きていられるようにはなった。問題は脳みそがピンクモードに突入してしまった事で、俺は美人と評判の若い女教師の口元を、無意識の内にジッと見つめていたのだ。また女の子とキスしたいなぁ、とばかりに。
 その古典の授業がそろそろ終わろうかという時間。俺は不意に視線を感じ、特に何も考えないまま横を向いた。
「――っ!」
 視線は確かに存在していたらしい。ちゃんと朝から出席し、だが俺には決して近付こうとしなかった女子、山岸美由紀が珍しく不機嫌な顔で俺を睨んでいたのだ。
 おや、と俺が首を傾げると、彼女はサッと前を向いて、しかも教科書で自分の顔を隠してしまう。ここで相当恨まれているなぁ、と思った俺は相当迂闊だ。いや、山岸が俺を恨みがましく思っているのは真実だったにしても。その時は、彼女が抱いていた別の感情に気がつかなかった。
 そして、それに気付いたのは二日後の事。未だに俺に近付こうとしなかった山岸だが、理科の授業で移動教室があり、班分けされて偶々俺と向かい合わせに座る事になった。三日前とは言え、あんな事をした仲だ。こうなると意識しまくりである。彼女だけでなく、俺の方も。チラチラとお互いの表情を覗き合うという、青春の一幕っぽい事までしてしまい、流石にどうかと思ったが。
「……はぁ。――。あ……ッ!」
 教壇にたった先生が授業を進める中、俺はまた視線を感じ、不意に横を向く。今度も確かに山岸は俺を見つめていた。顔はポーッと赤くなり、僅かに潤んだ目でジッと俺――の口元を眺めているらしい。その視線の意味に気付いた俺が思わずゴクリと喉を鳴らすと、流石に彼女も正気に返ったようだ。慌てて悲鳴を押し殺し、教科書で顔を隠してテーブルに伏せる。そして隣に座った女の子に心配されていた。
 山岸も、もう一度俺とキスをしたがっている。
 まあ「俺と」の部分はこちらの願望だとしても、彼女が例の件にネガティブな印象だけを持っている訳ではないのは確からしい。そう判断してよかろう。こうなると妄想は願望を含んで広がる物だ。未来の俺が恋人同士になった山岸と深い契りを交わす。そんなイメージが頭に浮かんで消えやしない。ああ、もう一つきっかけがあればなぁ、と俺は思い悩むようになった。
 そして、そのきっかけは有難い事に、その日の放課後に訪れたのである。
 少し頭を冷やそうかと思い、香山滋全集の8巻を借りに図書館に行くと、また彼女がいたのだ。同じ場所に、同じように牛乳を飲みながら。
「きゃっ!」
「あ、あー。これ使ってくれ、早く……拭いた方が」
 ただし今回は既にあらかたを飲み終えていたようで、驚いた拍子に思わずパックを握りつぶしてしまった山岸だったが、被害は軽微で済んだ。頬がちょっとミルクに濡れただけだ。
 如何にもな光景にドキドキしつつ、ハンカチを出した俺は、それをそのまま自分の手で拭いてしまう。そうするとどうなるかというと、彼女の頬に優しく俺の手が宛がわれている感じになり、正にキスをこれからしようかという体制になった。
「あ……」
「う……っ」
 期せずして見つめ合い、動けなくなる。以前は無意識の内に奪ってしまったが、こうして意識してしまうと、体がガチガチに緊張してしまう自分が情けない。かといって「ゴメン」と口にして手放すのも、これは男の魂が許さない。
「……ん」
「――ッ!」
 結局の所、先に意思表示をしたのは山岸だった。頬に添えられた俺の手をそっと握り、だが振り払おうとはせず、目を閉じて軽く上を向いたのである。
 キスOKのサインで間違いない。
 それを正確に読み取った俺は、だが思うように体が動かせず、何とか顔を近づけて、本当に触れるだけのキスをやっとの思いで行った。
 こういう時、女の子は強い。俺がバカみたいに緊張していると悟った山岸は、二コリと優しく微笑んだ。そしてこちらの背中に手を回し、ゆっくりと撫でて俺の体を解きほぐす。そして今度は自分から唇を合わせてきた。
「んっ。……ん、あむ、んっ。――ちゅ」
 弱々しくなってしまっている俺を慈しむように、キスをし、唇を挟み、或いは舌でチロチロと舐める。最初はゆっくりと、徐々にじっくりと。
 カラカラだった俺の口の中は、そんな彼女の行為に触発されて潤い始め、いつの間にかゴクリと飲み込むほどの唾液で溢れてきた。そして、これを山岸と交換したいと思い立った瞬間、俺の方も完全に復活。さらにヒートアップ。思いっきり彼女を抱き締めて、その柔らかい唇を貪った。
「んぁ……んッ! んっ、んむ……んく。はふ……」
 暫くはそのまま、夢中で小さな口を蹂躙し、舌を乱暴に絡めて唾液を啜り、届く範囲全てを舐め尽くす。呼吸すら忘れて俺は、山岸美由紀の唇を奪った。
「んーッ! んんーッ!! ……ぷはっ。はぁ、はぁ……」
「あ……わ、悪いっ。ゴメン、本当にゴメン」
 しかしながら人間は酸素を必要とする生き物な訳で。呼吸が出来ないと問答無用で苦しいのである。最初は大人しく俺にされるままになっていた山岸だが、流石に無呼吸キスは辛かったらしく、途中から激しく暴れだす。マズイと思って口を離した時には、彼女は涙目で息も絶え絶えだった。俺とて女の子を苦しめたい訳ではない。山岸の肩を撫でながら必死に謝り倒す。というか、ここで泣かれたり逃げられたりしたら俺のダメージが甚大だ。
「う……うん、大丈夫。でも、その……」
「ああ、優しくする。約束するから」
 幾らか怯えてしまった様子の彼女を宥め、またもキザなセリフを吐く。それが効果的だったのか、やがて山岸は再び目を瞑って顎を上げた。
「んっ、ん……」
 頭が冷えた俺は、先ほど彼女がしてくれたように、今度はこちらが優しくキスを主動する。顔を傾け、唇を合わせるだけのキスに始まり、徐々に深く、大胆に。夢中になり過ぎないように気を抑えつつ、山岸の唇と舌をじっくりと味わう。
「んぁ……んん。はぁ――ん、はむ……ん、んちゅ」
 一度は冷えてしまった彼女の体温が徐々に上がっていき、それに合わせて山岸もこちらの口を丹念に舐め、そして混ざり合った唾液を飲み込んでいた。
 心と行為、その2つがやっと重なったと言っていい。どちらか一方が自分勝手に相手を求めるのではなく、互いを慈しみ、貪りあう。感情と体液を共有し、快感を与え合う。そんなキスが出来ていたのだ。これが深みにはまらないはずが無い。
 俺と山岸は、このキスを行って以来、日常的に唇を合わせあう仲となった。
 事が前後したが、俺の方からちゃんと告白して恋人にもなった。だからまあ、俺の願望は確かに果たされたという訳だ。しかしながら、心は繋がっても、未だ体の方は深く契るまでにはなっていない。
 山岸はキスと抱擁以上の事を酷く怖がった。俺がその気で胸に触れようとすると、途端に身を竦ませて怯えてしまう。これは何か彼女の過去や家庭環境に問題があるのでは? と疑わざるを得ない。勿論、それで山岸との関係を考え直そうなどとは思いもせず、恋人たる身として心から支えになりたかったのだ。
 結論から言うと、本当に何も無く、単に「まだこれ以上は怖い」と思っているだけだったのだが。まぁ、その際に色々とクサいセリフを吐くだけ吐き、お陰様で山岸の俺への信頼もうなぎ登りで、最近はちょっとだけ下乳を揉むくらいは許されるようにはなった。
 そういう訳で初々しいカップルになった俺達だが、どうにもキスまでの関係とは言えなくなって来ていた。いや、確かにキスだけと言えばキスだけなのだが、そのキスが少々常軌を逸脱してきたのである。人前で公然とするとかではない。問題は内容だ。
 キスによる一体感を求めた挙句、飲食物の口移しを始めたのである。最初は飲み物だったが、これが飴玉になり、チョコレートになり、やがて固形物になった。固形物とはつまりクッキーやスナックなどのお菓子とか、或いは弁当とかだ。
 互いの口で租借した物を、口をつけて交換し合い、舌と唾液で良く混ぜてからキスをしたまま飲み込むのである。別にどちらかが考案し、提案したわけではない。いつの間にかこうなっていたのだ。
 これはひょっとして随分と変態的な行為なのではないだろうかと、2人して頭を抱えて悩んだ事がある。だが、別に誰に見せるわけでないし、キスの延長という事で決着した。したのだが、山岸が友達同士の会話で「こんなのって、どうだろう?」と、あくまでその場で思いついた一例として挙げたら、ドン引きされてしまったらしく、暫く落ち込んでいた。結局、開き直って口移しは止めなかったのだが。
 ともあれ、昔で言うA・B・CのAだけをひたすら追及するカップルである俺たちは、人目のつかない場所であれば自然と唇が重なっているというレベルにまで進歩。今日も今日とて、廊下の隅、そして図書室の棚の陰でキスをし、唾液を舐め合う毎日である。



 ――了。

モ ドル