人の終焉

 

『えー。現在、未曾有の大惨事に襲われました○○県××市上空です。ここからでは市内の様子を伺うことは出来ませんが……。あ、検問所が見えます、自衛隊によって築かれた物々しいバリケードが、事態の大きさを改めて――あ、ただ今カメラマンの望遠レンズが市内に残った女性達の姿を捉えたようです! ご覧下さい! 何処へ向かっているんでしょうか? 皆さん嬉しそうな顔で、何処かに向かって歩いて行きます! この方向は……市庁舎です。残った女性達が、市庁舎に向かって長い列を作っております! と、この辺りで限界のようです、スタジオの福田さんにお返しします。以上、現場上空から、後藤がお送りしました!』

 バリバリと騒音を立てて一機のヘリが上空から飛び去った。今のレポートはあのヘリから行われたのだろう。
 ふかふかのソファにだらしなく寝そべった俺は、どデカイ液晶テレビに映された偉い先生方のコメントを、うんざりした顔で眺めた。
「はい、あーんして。リンゴ剥けたよ」
「あの……巨峰、皮剥いときました」
「サンドイッチも食べて」
「これ、お握りです。上手く出来てないけど」
「あ、クレープあるよ。クレープ」
「鯛焼きもあります。どうぞ」
「チョコレート、食べて欲しいです」
「そ、そんなのよりステーキが焼けましたわ!」
「うな重、どうぞ。うな重、美味しいです」
「ハンバーガー作ってきた。好きでしょ?」
「カレー……」
「寿司……」
「ケーキ……」
「から揚げ……」
「焼きそば……」
「雑炊……」
「すき焼き……」
「すっぽん……」
「シシカバブ……」
 ・
 ・
 ・
 等など、ソファに陣取った俺の周りには、リンゴを差し出してきた幼馴染みを始めとして、半裸の女性が数十人はべっている。学校のクラスメイト、上級生、下級生、先生。
近所に住んでいるお姉さん、年下の女の子、人妻。商店街の店員さん、会社のOL、病院の看護婦。その他、この街で見かけるおよそ全ての職種が揃っていると言っていい。

 今は数十人だが、テレビで見た限りだと、まだまだ増えるようだ。街に残った全ての女性がここを目指しているのであれば、最終的にその数は――。
 一万五千六百八十四人である。15684人。テレビ局調べだから正確かどうかは分からないが。
 嬉しくはあるのかもしれないが、どうにも俺の手には余るような気の方が遥かに大きかった。
 一体、この街に何が起こっているんだろうか?
 口元まで差し出された食べ物を端から頬張り、俺は黙考した。

 事は今日の夜明け頃にまでさかのぼる。
 道路を挟んではす向かいに住む同級生、俗に言う幼馴染みが、突然俺の部屋に現れたのである。雨どいを伝って2階まで登ってきて、開けっ放しだった窓から入ったらしい。
 どうして、こんな事を? と聞くや否やポロポロと涙を零した彼女は、おもむろに服を脱いで迫ってきた。
「ずっと好きだったの。抱いて!」
 事態の余りの急展開振りにあっけに取られはしたが、まぁ、彼女の事は俺自身、昔から憎からず思っていた事もあり、次の瞬間には押し倒していた。
 で。
 たっぷり撫でてたっぷり注いだ俺は幸せそうに眠る彼女を抱えて二度寝を決め込んだのだが、起きてから更に事態は急変した。
 近所に住む女子大生と女子高生と女子中学生と家事手伝いと若妻とOLが、一斉に我が家を訪れて「抱いて!」と迫ってきたのである。
「じゃあ、順番に並んで」と言ってしまう俺もバカだった、と後に後悔したのだが、先に立たないのが後悔であるからして、もうこれは仕方ないんじゃあるまいか。
 俺の側を離れようとしない幼馴染みに背中を抓られつつ、頑張った俺だったが、如何せん5人目くらいで精根尽きた。
 そして逃亡。やたらと救急車が走り回る市内を自転車で駆け抜けた。いい加減、この夢覚めないかなと思いつつ、ふっと振り返った時の驚愕をどう伝えればいいのか。
 例の幼馴染みを先頭に、割と俺好みの女性達が地響きを立ててマラソンをしていたのである。
 ゴール、俺で。

 怖くなって警察に逃げ込んだが、こちらはこちらで大混乱だった。話を聞いて貰えそうに無いと判断し、即座に自転車に飛び乗ってまた逃走。収穫は綺麗な婦人警官がマラソンに加わっただけだった。これをプラスと取るかマイナスと取るか、今でも俺の脳内会議は意見が割れている。
 さて。警察がダメならお役所だろうか? 冷静に考えれば、市内中どこでも大混乱の状態で役所が当てになる筈も無いのだが、この時の俺が切羽詰っていたのを分かって欲しい。何か頼りになる機関に訴えれば、どうにかしてくれるんじゃないかと思ってしまったのだ。
 勿論、市庁舎は当たり前のように大混乱。逃げ込んだ俺は、上へ上へと移動した挙句、最上階の市長室に辿り着き、そこで捕まった。

 そして搾り取られた。数十人の暴走する女性達によって、服を引っぺがされ、触られ、撫でられ、舐められ、吸われた。皮膚という皮膚を、体液という体液を、全て。
 どうもその辺りで、俺は一度失神したらしい。
 目を覚ますと、大勢の半裸の女性に囲まれて、俺は市長室の大きなソファに座っていた。
 そして疲れ果てた俺がポツリと「腹減った」と漏らした所、今度は食い物責めにあった――というわけである。

 ちょっと首を振って見回せば、うっとりと俺を見つめる視線が数十。
 ちょっと手を伸ばしてみれば、触ると喜ばれる生乳がやはり数十。
 階下には、この数百倍の人数が順番待ちの行列を作っている。
 相変わらず俺にくっ付いて離れようとしない幼馴染みが「もっと、もっと」と、見えない尻尾をぶんぶん振っている。その様子から、1人1回で事態が収まらない事を知った俺は、天井を見上げて途方に暮れた。

 どうすればいいんだ――。

   /

 所は変わって、東京霞ヶ関。
 とある建物の一室に、難しい顔をした男達が集まり、盛んに煙草をふかしていた。
「もう一度、状況を説明してくれるかな」
「は。昨夜未明、○○県××市において、突如謎のウィルスが発生。瞬く間に市内一円に広まりました。この正体不明のウィルスに侵された市民は、高熱、倦怠感、関節痛、腹痛、頭痛、吐き気といった様々な症状を表し、病院に殺到。空気感染で広まったと思われるウィルスは、ほぼ全ての市民に感染。一時、市内はパニック状態に陥りました」
「それで?」
「は。早急な自衛隊の出動と、近隣4県全ての病院の協力により、ほぼ全ての市民の保護を完了。これに伴いまして××市に通じる全ての道路、鉄道を完全封鎖致しました」
「ふむ。被害者の状況は?」
「収容した患者は、時間の経過と共に症状は安定。多くは、特にこれといった処置無しで快方に向かっています。ですが……」
「ですが?」
「××市内においてはウィルスは未だ健在。突入を試みた自衛隊員全てが感染、発症しています」
「市外に出れば無害化、だが市内は今も――」
「第1級バイオハザード、というわけです」
「ウィルス対策はどうなっている?」
「は。現在、国立疫病センターを始め、各医療機関が全力を挙げて解明に当たっています。明日には国連WHOの派遣による調査団が日本入りする予定です」
「予定はいい。結果は?」
「未だ……芳しからず、です」
 上座にどっしりと腰を下ろした初老の男は、苦々しげに顔を歪め、ギリと歯を鳴らした。列席する一同も、顔色は冴えない。
「それで、市内の様子は?」
「は。断片的に入手した情報によりますと――」
 下座に立たされた男は、微妙に手を震わせて書類を捲り、暫く逡巡してから口を開いた。
「残されたのはテレビ報道でもありましたように、ほぼ全てが女性。それも10代前半から20代半ば頃までの――これは調査に赴いた自衛隊員の私見ですが――見目麗しい方ばかりだと」
「つまり、若くて綺麗な女だけが無事、というわけか」
「いえ、一概にそうとも言い切れません」
「何? どういう事だ」
「は。その女性達ですが。やはりウィルスには侵されている模様です」
「詳しく説明を」
「はい。その女性達ですが、自衛隊員が保護を申し出た所、激しい拒絶を受けたとの事です。えー、コホン。その、一部隊員が強制的に保護し、市外に連れ出した所、その時点で発症」
「何? では」
「はい。通常とは逆で、市内から出ると発症、市内においては無事となります」
「何とも不可思議なウィルスだな。いや、待てよ。君はさっき、残されたのはほぼ全てが女性と言ったな?」
「は。未確認ですが、若い男性が1人。やはり市内では健康という条件で、残されている模様です」
「はんッ。綺麗所の中に、若い男が1人か」
 列席した男性達の間で失笑が沸き起こる。座中に幾人かいる女性は顔をしかめたが。
「現在での報告は以上か?」
「いえ、もう一点」
「なんだ? もったいぶらずに言いなさい」
「残された女性達ですが……特殊な症状を起こしている、との事で」
「何!? 特殊な症状だと。危険な物か?」
「はぁ、それが……。どういう訳か、例の、残された若い男性を異様に慕っている、との事です」
「全員?」
「全員です」
「じゃあさっきのテレビで女の子達が市庁舎に向かって云ったのは」
「恐らく例の男性が市庁舎にいるからでしょう」
 一同はなんとも微妙な顔で、言葉も無く固まった。
 これは醜聞だ――。諸外国になんて説明したらいいんだ。
 上座で青くなった初老の男、日本国内閣総理大臣は、頭を抱えて蹲った。
「我々厚生省調査団は、ハーレムウィルス、と名付けました」
「いらん事せんでいい!」



 ――そういうわけです。続きません。さようなら。

モ ドル