あくる日の夕れ。

 

 春も半ばを過ぎた四月末のゴールデンウィーク初日。
 酷い事をしようと思った。いや、酷い事をした。
 ネットを通じて知り合った近所に住む大学生――仮に[S]としよう――に誘われたのだ。「遊びに来ないか?」と。彼とは、とある画像投稿掲示板でコメントを交わす間柄だった。いわゆる個人撮影のアダルト画像を投稿するアングラサイトで、もっともSが精力的に自力で獲得した女性の写真をUPするのに比べ、俺はもっぱらコメントをつけるだけの賑やかしでしかなかったが。
 ただ、Sの撮影する写真に、度々見覚えのある背景が写っていた事から割と近所に住んでいるのが判明。恐る恐る「これ、〇〇公園ですよね。ウチの近くです」見たいな事を述べてみたら、気さくな彼が「じゃ、会おう」と言い出したのだ。以来、飯を奢って貰ったりゲームをしたりという付き合いが始まった。
 そして今回。俺が女性経験のない事を嘆いていたら「なら、抱かせてやる」とSが言い出したのだ。何とも有り難い申し出である。だが、話以上に俺は驚いていた。彼のメールには『この子でいいか?』というメッセージと共に一枚の画像が添付されており、そこに写っていたのが見知った顔の女の子だったのである。
 同じ高校に通う女生徒だ。同じ学年で、去年のクラスメイトでもあった。杵築愛海(キヅキ マナミ)という、朗らかだが軽い感じの子だ。勉強は嫌い、遊ぶのが好きという性格で、お世辞にも真面目な生徒とは言えなかった。何故、過去形なのかと言うと、前年度の三学期に入った辺りで行動パターンや雰囲気が一変したのだ。以前は事ある毎にケラケラと口を開けて笑うような奴だったが、一月半ばくらいから沈みがちになり、何事も斜に構える口数の少ない女になった。
 その杵築が、裸になって足を広げ、陰唇を両手の指で開いて虚ろな笑顔を浮かべていたのだ――。
 元より好みのタイプでは無かったが、それでも見目は良いし、セックスの相手にして不足はない。俺は震える手でSに返信メールをだした。
 そしてGW初日の四月二十九日。午後一時。俺は公園でSと待ち合わせたのである。
 Sは俺が杵築と知り合いである事を聞いて爆笑していた。だが少し遅れてやって来た杵築本人は愕然とし、真っ青になって足を震わせた。まさか、こんな所で知った顔に出くわすとは思っていなかったのだろう。可哀想なほど足を震わせ、そして目に涙を溜めた。
「今日はよろしくな、杵築サン」
 だが結局の所、彼女は泣き出すまで行かなかった。これまで散々弄ばれてきたのだろう。諦めにも似た溜息を吐き、無言で目を伏せただけだった。その哀れな姿に、むしろ嗜虐心を煽られたのだから、やはり自分は酷い人間なんだろう。
 Sも俺も、見かけは十人並みで無害そうな男である。目つきが鋭いわけでも、態度が乱暴で迫力があるわけでもない。如何にも脂ぎっていて、女を物扱いするような人間には見えない。だが、肝心な部分のネジが外れているのだ。そんな共通点を読み取ったからこそ、Sも俺を気に入り、構ってくれる様になったのだろう。
 杵築は完全にSの言いなりだった。余計な事を喋らず、何事もただ黙って従う。道すがら、Sが俺に女を従順にさせるコツなどをレクチャーしている間も、ただジッと俯いて後を付いて来た。相当、教育が行き届いているらしい。ホテルに着いてからも同じだ。用意しろとの指示にコクンと頷き、無言でシャワーを浴びに行く。そしてバスタオル一枚だけを体に巻き、そのままベッドに乗った。意外に豊かな胸が揺れ、白く滑らかな肌が顕になっている。
「じ、じゃあ。頂きますって事で」
 初めて女の味を知ろうという俺は随分とテンパッていたが、彼女がシャワーを浴びている間にSと軽口を叩き合った事で大分緊張も薄れていた。それでも上着を脱ぎ、ベルトを緩めると息が荒くなる。だが思い切って股間を晒し、彼女にペニスを舐めさせると、次第に緊張は心地良い興奮に変わった。
 これもSの助言によるものだ。フェラチオをさせて上から女を見下ろせば、立場の上下がハッキリ分かる。そうすれば落ち着いて女を楽しめるだろうという。それは、なるほど正鵠を射て、俺は初めて触れる女の柔肌を、存分に楽しむことが出来た。
 大人しく言う事を聞く杵築の胸を揉み、乳首を吸い、女性器を撫でて蜜を零させる。そして硬く勃起したペニスを挿入し、夢中で腰を振った。
 後にして思えば、やはり途中から我を忘れていたのだろう。結局の所、最初の一回は大した事が出来ずに終わったように思う。気がついたら俺は彼女の膣内で果てており、微妙に冷たくなった頭と、どこか燃焼しきれていない疼きが体に残っていた。
 惜しいと言えば惜しい。折角の機会をくれたSの手前「思わず夢中になっちまったZE!」などと強がって見せたが、杵築の方が達していない事は明白である。堪能しきれなかった事も含めて口惜しかった。まあ、これも後にして思えば割と上出来の類だったのかもしれないが。
 この時、Sは手出しをせず、椅子に座って眺めていただけだった。彼なりに気を効かせていたのもあるが、杵築の仕上がり具合も見たかったのだそうだ。
「これ、使ってみる?」
 そして俺が内心で狼狽えるのを見て取った時点で漸く口を出し、鞄から一本のバイブを取り出す。全く、実に良く出来た先達だ。使い方と効果的な責め方を、横たわる杵築の体で教わる。知っていた筈なのに触り忘れていたクリトリスや、最近の研究で存在が疑問視されているというGスポット、そして膣の奥にあるというポルチオ性感など、責めた時の反応を仔細に説明しながら女体の扱い方を伝授してくれたのだ。
 お陰様で、杵築は俺の操るバイブによって淫らに悶え喘ぎ、絶頂を迎えるに至った。ある種の感動である。しかも見知らぬ女性ではなく、同じ学校に通う同級生。かつては屈託なく笑顔で挨拶し、他愛ない会話を交わした間柄である。そんな女の子を嬲り、激しく鳴かせて果てる顔を身るのは、どこか背徳的な愉悦感があった。
 焦点の合わないドロッとした瞳でベッドに横たわり、ビクビクと体を震わせる杵築を前に、俺は初めて満足の行く顔で頷いていた。女を好きに弄ぶのが、大層な娯楽である事を漸く知り得たのだ。Sに肩を叩かれ、ニィッと笑う。
「気に入ったみたいだな」
「ええ、まぁ。知り合いでもありますしね」
 グッタリしている杵築の太ももをポンと触って撫でる俺を見て、彼は顎を軽く押さえて何やら思案した。そして改めてこちらを眺め、意外なセリフを口にする。それは俺にとっては大変に有り難く、そして嬉しい話だった。
「うん。じゃあ、この子、君にやるよ」
「は? え、やるって……?」
「ああ。俺はもう手を出さないから、今後は君の物って事」
「か、簡単ですね。良いんですか?」
「あははは。俺は他にも手掛けてる女がいるからね。最近は歳上がメインだし」
「は、はぁ。そういやそうですね」
 確かに、彼が件の掲示板に投稿する画像は幾人もの女性に渡っている。二股三股のレベルではない。その中の一人を友人に譲渡した所で、痛くも痒くもないのだろう。そもそも今日だって、特に気に入っているわけでもないからこそ俺に抱かせるのを良しとしたのだろう。
「んー、俺もね。実は最初の一人は先輩に貰ったんだ。だから遠慮しないで良いよ。ま、いらなきゃいらないで引き取るけど?」
「ええっと。そういう事なら、頂きますが……」
 チラリと彼女を伺う。ボーッとしている杵築は、その視線に気付いたのか、やがて虚ろな顔をこちらに向けた。何を思っているのかはサッパリ不明だ。ただ無言で俺達を見ている。
「愛海も良いよな?」
「……っ。――」
 ただ、Sが軽く声をかけると、彼女は一瞬だけ目に光が戻り、そしてコクンと頷いた。杵築の反応はそれだけだ。本当に分かっているのかいないのか、俺には判別出来なかったが、Sにとっては十分だったらしい。彼女の連絡先を俺の携帯に登録し、そして自身の携帯から杵築のアドレスを消してみせる。
 余談ではあるが――後日、俺の自宅にSからの小包みが届き、中を改めると『杵築愛海 調教記録』と銘打たれたDVDが3枚入っていた。要するにハメ撮りの生データである。別途封入されていた手紙には、それが記録に残る彼女の全映像記録であり、既に彼のPCからはファイルを抹消してあるとの事。杵築を縛る物証でもあるが、恐らく必要性はないとの事。俺にとって不快であれば、見ずに破棄するのを勧めるとの事などが書かれていた。何とも感心するしかない手際だが、後で聞いた所、彼の知っている世界では『女性の譲渡』の際に行われる一般的な手続きらしい。どんな世界なのかは知らないが、曰く「信用問題なんだよね」との事である。
 尚、忠告に従い、俺は三枚のDVDを焼却処分した。見るだけは見ようかとも考えたが、急に胸糞が悪くなったのだ。初めての相手だけに、自分でも意外なほど抵抗感があったのである。杵築が他の男に抱かれている姿を目にする事が。
 ともあれ、こうして彼女は俺の物になった。
 身繕いを済ませて三人でホテルを出る。あの後、俺はもう一回セックスに挑んだが、それもあっさり射精して終り、時間は残っていたがお開きになったのだ。
「じゃあな。今度は焼肉でも食いにいこう」
「ええ、その時はメール下さい。喜んで行きますから」
 時刻は昼の三時。Sは自分もしたくなったからと言って去っていった。俺だけに別れを告げ、杵築には一言もない。既に他人の物という認識なのだろう。友人に対しては気さくで和やかな人物だが、女性には恐ろしくドライな部分がある。俺はまだ彼ほど割り切ることは出来そうにない。だが、いつか自分もああなるのだろうとボンヤリ思った。
「あー、と。お前はこれから予定とか、無いよな」
「……うん」
 残された杵築は目を伏せて立ち尽くしていた。俺が「帰っていい」と言うまで帰れないのだろう。大人しく指示を待っている。相変わらず表情は無く、何を考えているかは読めない。取り敢えず歩き出し、待ち合わせ場所だった公園まで来た俺は、さてどうするかと首を捻り、取り敢えずクレープを二人分買った。
 先にベンチへ座らせておいた彼女を、露天からの戻り際に遠間から眺める。薄くブリーチを掛けたほんのりブラウンの黒い髪は肩を過ぎた辺りでカットされ、自然に流されていた。長袖の白いTシャツの上に淡い緑のキャミソール、そして水色の薄手のパーカーを羽織っている。チェックのスカートは膝丈、足元は白にワンポイントの入った靴下にスニーカーだ。歳相応で可愛らしい服装ではあるが、俯いて静かに佇んでいる杵築には、去年よりも大人びた雰囲気がある。以前は好みでないと思っていたが、今は正直、心象が変わった。第三者の手引きがあったとは言え、肌を合わせたからだろうか。
「今更だけど良かったのか? 俺の物になるって話」
「……ホントに、今更よね」
 Sがいなくなった事もあるのか、彼女はやや砕けた口調になっていた。手渡されたクレープをもそもそ食べながら、こちらの質問に答える。
「あー、ぶっちゃけた話。俺、初心者なんで結構無理するかもだけど」
「好きにすれば良いと思う。君の物なんだから」
「ふむ。そかそか」
 沈んではいるが、杵築の様子はセリフから感じるほど不貞腐れてはいなかった。自分の境遇を受け入れきっている感じだ。クレープも意外に平気そうに食べている。むしろ俺の方が緊張で食欲を失っていた。無論、平気な顔を取り繕って必死に食べたが。
「でも……そうね。本音を言うなら、まだ君の方がマシだわ」
「そ、そっスか」
「会話を――させてくれるもの」
 薄く笑った彼女に諦観めいた物を感じる。ただ、虚ろに見えた顔には、ほんの僅かに安堵らしき表情があった。得体の知れないSより、まだしも分かりやすい俺の方がマシというのは本心のようだ。どうせ彼女には俺がビギナーである事を知られている。なら変に気取らず、遠慮なく欲望をぶつけさせて貰おう。
「そーか。じゃあ、きづ……愛海は俺の物って事で」
「……はい」
 コクンと頷く頼りない姿にゾクゾクと背筋が震える。なるほど、これが女を従えるという感覚か。対等の関係でなく、上に立って見下ろす優越感。Sのような人種が求めているのは、こういった光景なのだろう。苦労を押して山の頂まで這い上がるのではなく、平地で他の人と目線を合わせながら、一段下に落とされた女を見下ろす。酷く卑屈で下衆な感情だが、開き直ってしまえば愉悦でしかない。
「なあ。俺のする事を手伝ってくれたりもするのか?」
「他の子にも手を出すの? 学校の……子に」
「分からん。ただ、そういう機会があれば、お前を助手にしようと思ってる」
「ふぅん。好きに使えば良いじゃない。私は君に逆らえないもの」
 良心の呵責とか、自分ばかりこんな目にとかいう気持ちは既に無いらしい。杵築は淡々としていた。だがクレープを食べ終え、包み紙をポイとゴミ箱に放ると、不意に俺の顔を見て小さく笑う。
「そうね……ただ、私の事も構って欲しいわ」
 それは、最早特定の男に従う事でしか生きられないという、自身の存在意義にまで達した服従心なのかもしれない。或いは、色々な物を捨てられ、諦め、踏みにじられた挙句に残ったのが人肌の温もりだけという寂しさからか。
 今日、彼女が俺を正面から見たのは始めてだ。微笑みは直ぐに消えてしまい、また能面のような無表情に戻ったが、僅かでも本心を口にしたからか、何処と無くスッキリした印象を受ける。
「うん。なら、早速だけど。ついて来てくれるか? 折角だから、もう少しイチャイチャしてみたい」
「……」
 すんなり杵築が頷くのを見て、俺はベンチを立って歩き出した。つい先ほど、二回の射精をしているので性欲自体は薄まっているが、何をしても良い女体が側にあるのだ。暇さえあれば弄り回したいと思っても不自然ではなかろう。ホテルではとにかく挿れて出す事に終始してしまったので、取り敢えずはキスを経験したいのだ。
 百均の店でウェットティッシュとお菓子を買い、向かった先は一件のカラオケ屋である。駅前の商店街から少し外れた場所に位置した地元限定のチェーン店だ。夕方19時までは祝日でもお一人様30分50円+ワンドリンク。飲食物の持ち込みOK。純粋にカラオケ屋としては駅前にもっと安くてサービスの良い店があるので、そちらの方が人気だ。しかし、余り知られていないらしいが、こちらにはメリットがあるのである。
 緩いのだ。色々と。監視カメラは全部屋にあるが、ほぼ飾り同然。各部屋のドアには有事の際に店員が様子を伺えるよう、30センチ四方くらいの覗き窓はあるが、内側上部にフックがあり、ハンガーで上着を掛けると見えなくなってしまう。鍵は流石に掛からないが、敢えて開けようとしなければ密室も同然。それを良い事に、如何わしい事に使用する人が後を絶えないとか。店側も承知で、むしろ密かなウリらしい。言うまでもなくSに聞いた情報だ。そこで撮影された写真も例のサイトにアップされていたりする。
「へえ、意外に綺麗だな」
 二時間を申請し、ドリンクはメロンソーダとコーラを注文。前払いで代金の820円を払い、部屋を借りる。決して広くはないが内装はシックで悪くない。木目の壁に黒い合皮のソファで、照明を落とし気味にすると変に雰囲気がある。
「愛海、こっち」
 ドリンクが届いた所でドアに上着を掛け、BGM替りにランダムで音楽を流すようマシンに入力。買ってきた菓子をテーブルに広げ、準備が整った所で俺は大人しく座っていた杵築を呼んだ。
「あ……出来れば、服は」
「おう。汚さないようにするよ。取り敢えず抱っこがしたいんだ」
「そ、そう」
 着衣のまま膝に乗せて抱きつかせ、軽く頭や背中を撫でる。派手なセックスを求められた事はあっても、こういう扱いは余り経験が無いのか、彼女は随分と戸惑っていた。だが力を抜いて楽にと促すと、やがてそっと強張りを解く。
「はぁ……ん。ん、ふぅ」
 足を揃えて横抱きにされ、上半身だけ正面を向いてベッタリとくっ付く杵築。次第に余計な力が抜けて俺に体重を預けるようになって来た。こうなると素直になすがままになる彼女に愛着めいた感情が湧いてくる。殊更優しげな手付きで髪を撫で、頬に触れると、やがて杵築の吐息に熱が篭り始めた。
「こっち向いて」
「ん……はぁ。ん――んむ、ん……」
 背中を支えつつ細い顎を手に取り、ゆっくり顔を近づけて唇を奪う。触れるだけのキスだ。彼女は目を閉じて無抵抗に受け入れた。気を良くして、二度三度と唇を重ねる。そしてそのまま頬を合わせて呼吸を整え、もう一度、今度は上下の唇を交互に挟むような少しだけ深いキス。
「ん、んむ。んぁ……ん、はぁ、ふぅ。んむ、んちゅ」
 最初は乾いていた唇も少しずつ唾液に濡れ始め、やがて杵築の口から僅かに溢れるようになった。それを舌先で舐めとり、またキスを重ねる。やってみたかったのだ。こんな恋人同士が甘い時間を過ごすようなキスを。
「ん……、ん、う、うぅ。は、くっ! んんッ」
 俺自身、浸ってしまった事もあり、暫くそんなキスを続けていると、不意に彼女が身を竦めて小刻みに震え始めた。そしてこちらの鎖骨辺りに顔を埋め、グググとしがみつく。軽く感極まったらしい。これは可愛いやと抱き返し、後頭部を静かに撫でる。
「ふ――ふふ、はは……ぐすっ。はぁ、はは」
 顔を上げた杵築は、鼻を啜りながら泣き笑いの顔を作っていた。口元は微妙に引き攣り、何やら悔しげだ。両脇に回された細い指も、キュッと俺のシャツを掴んでいる。
「君……酷いよ。こんな事、初めてされた」
「言ったろ? 無理するかもって」
「うん。へへ……、ホントに酷い人だ」
 無理矢理笑い顔を作りながら、だが彼女の頬に涙が一滴溢れる。モノ扱いを宣言されながら優しくされるのは、却って強引に蹂躙されるより堪えるという事だろう。恐らくは『こんな事までされてしまった』という、かつて失った筈の絶望が蘇っているのかもしれない。一方的に嬲られ、快楽を強制されるのは慣れた彼女にも、まだ『こんな事まで』という行為が残っていたのだ。割と軽く考えていた『恋人同士が甘い時間を過ごすようなキス』は、杵築にとって自分でも気付いていなかった、彼女に残されていた可能性――つまり、本当の意味で心を許せる相手との和やかなキスを、示唆されつつも奪われたに等しいのである。
 答えて返した俺のセリフは、ちょいと格好を付けてみただけだったが、考えてみれば結果的に随分と辛辣で洒脱だった。我ながらグッジョブである。
「続けるぞ?」
「うん……どうぞ」
 膝に横座りになっている杵築の上体を起こし、首筋にキスをしながら片手で胸を揉む。さっきのキスの所為か、随分と彼女の体温は高い。多分、ホテルでセックスをした時よりも上気している。
 どうですか、Sさん。ビギナーの俺にも入り込む余地がありましたよ? と、少し誇らしげに思った俺だったが、後日になって彼に言ったら「一度トコトンまで堕とした後、態度をガラッと変えて優しく接し、更なる深みに落とすのはパターンの一つ」だと事もなげに返された。流石に先達である。杵築には単にやらなかっただけのようだ。まあいい。
「ふぅ……んっ、ん。はぁ……」
 反応もやはりホテルの時より良い。パーカーが無いだけで着衣のままだし、触り方もソフトだが、明らかに彼女は目をトロンとさせていた。快楽というよりも、純粋に心地良いのだろう。そっと胸の輪郭に沿って撫で摩ると、子犬のように喉の奥を鳴らす。完全に俺の腕に身を委ね、体は投げ出しきっていた。このまま続ければ、依存心をより深みに嵌める事ができそうだ。今日はこのまま時間まで着衣のままイチャイチャしよう。セックスまでするつもりはあったが、何も焦ってガツガツ喰らう必要はないのだ。杵築愛海は俺の物になったのだから。
 そうして、俺は彼女を脱がす事無く二時間を終えた。やった事と言えば、頭や背中を撫で、抱擁し、胸を軽く触り、キスをしただけである。股間への接触はないし、彼女が感じそうになれば手を控えた。要するにひたすらイチャイチャだけしていたのだ。感覚よりも感情を、恋人気分方向に揺さぶられた杵築は、最後には俺の腕の中でワンワン泣き始め、そして俺の腕の中で正気に戻った。そのままヒシッとしがみついて離れず、立たせるのにも苦労したくらいである。この先も、偶にこういう事をすればやがてバッチリ俺に依存するようになるだろう。元より服従心を植え付けられている彼女だ。そう遠い未来ではあるまい。
 ただ、それをSに話した所「下手に心まで依存させると、捨てた時に刺して来るよ」との事である。なるほど、だから彼は滅多に女性を甘やかさないのか。気をつけよう。
「じゃあ、また明日。学校で、かな?」
「うん。学校で……」
 背後にひっそり佇む息遣いに、だがその時はまだ脅威を感じる事もなく、俺はあっさりと帰路についた。内心では初セックスと、カラオケ屋でのイチャイチャにお祭り騒ぎ状態だったが。しかもそれが今後好きなだけ楽しめるとあっては浮かれずにいられない。
 いつか報いを受ける日が来る事など、俺の頭にはなかった。
 今を、ひたすら今を楽しめれば良いと、半ば本気で考えていたのだ。
 一週間後の自分は容易に想像できる。きっと女の子と戯れているだろう。
 一ヶ月後の自分になると少し難しい。それは最早、別の物語なのだから。



 ――了。

モ ドル